亡くなったペットの夢。
亡き愛犬が、今でも夢に出る。
人生で一番、愛し愛された相手、亡き愛犬、芝犬の龍之介。
もう7年も過ぎたのに、未だに、時折夢に出てくる。
成仏してないとは思えないけど、私があの子を呼び寄せてるのか、ちょっと気になってしまう・・・
記憶に残る名犬、じゃなくて迷犬!?、というか。。。
ハンサムなのだけど、ヘタレ、というキャラで。可愛くて可愛くて。
あの子の写真は結構あるけど、95年生まれのあの子の子犬〜青年期は、まだデジカメ全盛期に入ってなかったから、フィルムのものが多くて。多くは実家のアルバムの中。
例えばこれは、すでに緑内障が出てきた10歳頃のあの子↓(この写真は当時PEPPYに採用されたものでもあり飼い主の私としてはちょっと自慢)。
何が言いたいのか、っていうと、、、まぁ、
龍之介という超絶ハンサムな芝犬を飼ってました、ていうだけなんだけど。
とにかく、
龍之介は、私とラブラブでした。本当に。もう言葉に表現できるレベルを超えた、つながりです。
私はあの子と築いた以上の「絆」を、誰とも持ったことがありません。
深い深いところで、精神的に繋がってた感覚があります。
そして、それは今も、感じます。
信じてもらえなくていいけど、時空を超えた「絆」です。
時折あの子は私の夢に出てきて、相変わらず甘ったれのだだ坊の姿を見せてくれます。
ペロペロ舐めてくれたり、走り寄って来たり、抱っこだったり、、、
夢の中では当然のように生きてて、不思議。
私にとってのあの子は、言葉に言い尽くせない存在だから。
どうしても、どうしても、忘れることはできないし。その必要も感じません。
死んだペットは虹の下で飼い主との再会を待ってる、という話があるけど。
それを、あえて信じて。死んだらあの子に会えるんだ...!と、私は、、、
楽しみとしてとっています。
もちろん、龍之介以外にも愛情を注いできたペットはいるから、龍ちゃんだけを特別扱いするわけにもいかないんだけど。
なんだろう、あの子の私への執着は、また私からのあの子への想いは、なんて言ったらいいか、、、
私たちって、兄妹だったり恋人だったり親子だったり、
この世にあり得るすべての関係性を包括してなお超越した、硬い、硬い「絆」を持っていたと思う。
人生で一番愛してるし。一番愛してくれた。
かわいい、かわいい龍之介・・・
10歳で緑内障を発症するまでは、本当に運動大好きで、いつも走り回ってるような元気な子だった。
かわいそうに。
晩年は認知症も発症して、やせ細って。
だけど元々甘ったれだったあの子の晩年の幼児還りは、本当に手が焼けたけど、
本当に、本当に、、、
可愛かった。
睡眠時間削られても、可愛かった。
一度、介護疲れで私はあの子を叩いてしまったことがあって、
本当に、ごめんね、、、って今でも思う。
結局、15歳になる前の冬に死んでしまったけど。
いい飼い主でもなかったけど。。。
龍ちゃんは、今でも私を心配してくれてるんだ、今でも私が好きなんだ、って思う。
どうしても整理できない。
あれ以上の愛情を、、、人付き合いの中では、とても、とても味わえやしないから。
薄っぺらい社会の中で、
いつも渇望してしまう、
あの「繋がり」。
犬の良さを、真髄を知ってしまった人間の、宿命でしょうね。