芥川龍之介の「最後の恋人」!?
わしゃその、JK(女子高校生)の時、ガチ龍之介ファンなったから。その、染井霊園には龍之介さんの命日&誕生日と、幾度となく足を運んだものですから・・・
そんなこと言われたら、目にしたら、一応チェックしたくなるものです。Amazonぼちりたくもなるものですお・・・
幸い(?)先週末、台風で外出できなくなったのもあり、読みましたよ!!
はい。『越し人』。14歳年上の、最後の恋人(注:プラトニック!!!)だそうです。
詳細が気になる方は、読めばよろしいかと思います・・・
以下は、
芥川龍之介の一ファンとしての、また自他共に認める恋愛音痴KY独女の一意見ですが、、、
モデルというか主人公の(自称)芥川龍之介の最後の恋人(あくまでプラトニック!!な関係)である片山廣子女史について、、、
理解できました。
が、共感はできませんでした。
以上っ!
あぁー...........えっと、そのーーー・・・。私、
ちなみに私、恋愛小説って、ふだん全然読みません。なぜかというと、イミワカンナイからデス。
何言ってんのかとんと判らんのです。
つか要は breeding behaviourっしょ!?なにしてんの?頭大丈夫!???て感じでs。
・・・すいません。そんな自分が共感できるわけなかったっス。
だけど、理解はできましたよ。
主人公の女性の気持ちが。一応。
ワシとてその、ニンゲンとして色々な思いをしてきてはいますから(ほとんど妄想だけど)。
ていうかさ!色男龍之介を前にして惚れない女はいないでしょう!!才女ならなおのこと!!
ただ、この方、当時の女性としてはかなり恵まれた教育を受けた上流階級なのはわかりますけど。知性的な方であることも反論はありませんけど、、、ただね、要するにこの方は、性欲が強い、「愛情より性欲の強いタイプ」なんだなって。
そんな理解に落ち着きました。
だって、亡くなった夫への愛が希薄すぎるし。なんだかんだで芥川氏との前に関係したM氏とのアレとかも、色々その、、、
要するに若い男に性欲を感じて仕方ないのだがそれを恥じてる自分も同時にいて、40代後半でもう女として見られないのだろうし、だけどそうだとしても私は泣く子も黙る「文学夫人」!だし、ああでもなんで龍之介は抱いてくれないのかしら...いやそんなのいいんだけど、気にしてなんかいないわよ、いえその、、、アタクシ葛藤してますの!辛いの!!!
て話なんですお。。。(つかそれ以前に芥川氏は妻子持ちでフツーに不倫なんだけどよ)
それでも、芥川氏を前にして恋に落ちてしまった、というのは、すごく共感できます!
ヒっジョーーーにわかりますよ!!・・・私なりにですが。
私だって、同じ時代に生まれていたら、少しでも彼に近づけるチャンスがあったら、間違いなく恋したでしょうからね!!!!
しかもその時、自分が14も年上だったら、未亡人だったら、...それは、確かにそれはとても、葛藤したと、思います、思いますけど.....!!!!
自分の場合は、自分を一番にしてくれない男にはそこまで興味がいかない、つかコスト払えないですねーーー・・・・・・・
もっと端的に言えば、相手に家族(本命)がいる、というだけで百年の恋も冷めますねー・・・
というかこれは倫理観云々とかそんな美しい話じゃないです。単に、プライドの問題です。自分は我が強いんで、二番手に甘んじることは絶対に嫌!、ってだけです。そんな風に自分を見下してる相手に、時間を割いてる暇ないんで。マジで。
つまり、この片山広子女史より、私の方がプライドが高いんだと思います。我が強いんだと思います。俗物なんだと思います、思います、おも....o, ohhh
しかしどんな屈辱を受けようが、物乞いになろうが、飢えて雑草を喰らおうが、私はこのプライドを捨てるつもりはありません。
そこが私とこの小説の中の片山女史との、決定的な違いだと感じました。
・・・いやまぁ、少し嫉妬もあるのかもしれません。
実際、片山女史は素晴らしい女性だったろうと思います。正直自分など足元にも及ばんでしょう。
芥川氏との恋に悩んだ姿も、純真だ、永遠のショジョだ、と讃える理由はいくらでもある。その悩める乙女な姿は、本当に綺麗だったんだと思います。
美貌の「文学夫人」だったのでしょう。
彼女の苦悩も、わからなくもないし、
いや正直、よくわかりますよ。つかわかるよ。
自分とて、わかる。自分の好きじゃない部分でね、よくわかる。
・・・だから悩ましいんだよ。
自分が批判的に思うのは、要するにだけど、
結局彼女の苦悩は、自分自身の物語だけで、自身が愛していたという対象の芥川龍之介氏の精神世界、自殺の原因となった心の闇の核について、本気で迫ろうと、触れようとしなかったこと。常に自分が世界の中心で、龍之介の心に寄り添ってはいなかったのに、そこについての反省はなく、あくまで、女としての自分はどうだったのか?という自己中セカイに終始してたこと。
そしてもし、彼女のこの浅はかさが、自己チューさが、
芥川氏が手を出すのを躊躇った心理の核心だったとしたら・・・?
所詮女の私には、男性心理はわからないけど。
誰でも、理解者を求めているし。
龍之介のような人ならなおのこと。
生い立ちなどを想うと、とても切ない。
もし、本当に心の、深いところで、真に共鳴してくれる異性に出会えていたら。。。と
自分なりの、勝手な想像、妄想解釈で言えば、
いくら彼女が高等教育を受けた「文学夫人」だったとしても、それでも、
天才・芥川の見ていた世界には、結局、うわべしか触れることができなかった。
だから、本当の意味での同志にはなっていなかったのだ、と。
おそらく、龍之介の方も本当に彼女を好きだったと思う。それなりの深さで。
だけど、それでも彼女の方がより彼を好きだった。そしてそれがまさしくそのまま力関係となってしまって、、、結局、芥川の親友ともなることができず、当然愛人ともなれず、半端に終わってしまったんだろう。
結果として、
この「腰し人」でさえ、
彼の孤独の、心の「深淵」に触れることは叶わなかったのだ。
たくさんの女性と恋仲になってきたのだろう。
それでも
誰一人、彼の自殺を止めることができなかった。
そちらの方がせつない・・・
自殺に至った氏の抱えていた「孤独」は、どれほどの「孤独」だったのだろうと思う。
たまたまだけど、
私も大好きなストラヴィンスキーを、龍之介も好きだったらしい。
彼の知性と比べたら私のそれなど足元にも及ばないだろうが、
躁鬱っぽいとことか、人間の本質、汚いところも含めて見通してしまうとこだとか、
共感するところは多い。
同じ時代に生きてみたかったな、と思う反面
私は現代に生まれてよかった、とも思う。
私も大鬱を患っていた当時は、死ぬことばかり考えていた時がある。
でも生きていてよかったと思う。
私はまだ、遺せていないから。
私はまだ、あがいてないといけない。
男女のことは、恋愛下手の私にはよくわからない。
よくわからない。
『恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである』
恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたもので…(芥川龍之介)| 座右の銘にしたい四文字熟語
その通りだとしか思えない。
そしてこの次元をはるかに超越することができた人にしか、見えない世界、感じられない幸福、というのもあるのだろうとも思う。
例えば自分の両親を見ていると、そういうところだけは羨ましく思うことがある。
芥川龍之介という男性は、妻子のみならず、本当にたくさんの女性に愛されたのだろうが、
同時に、
孤独な人だったのだろう。
それを想うと、切ない。
羅生門 蜘蛛の糸 杜子春 外十八篇 (文春文庫―現代日本文学館)
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