父の中に初めて亡き祖母を見てしまった・・・。
私の父は2年弱前(1年10ヶ月くらい前かな)、「レビー小体型認知症」の診断を受けました。そして現在、着実に進行しており、おそらくは、数年以内に(たぶん今の様子だと2年以内には)、寝たきり状態か、亡くなっているでしょう。
診断を受けた1年目は、症状がある時もあればない時もあり、といった感じで、普通に会話ができる日が多かったので、ちょっと怪しい言動があっても、今のは症状なのか?という判断が難しかったです。ただ、幻覚はけっこう頻繁に訴えてましたね。リアルすぎて、聞いてるこちらが戸惑うくらい。月1、2回しか会ってなかった当時は、「〇〇が来た」系話は本当のことのようでした(実際、中には本当のこともあるので、余計にわかりづらい)。
2年目に入ると、症状がでる頻度が増え、まずパーキンソン症状が進み(歩行や手先の運動に不自由さが際立ってくる)、そして認知的にも記憶違いや勘違いが増え、これが幻覚とセットになって、明らかにオカシい行動を取ることが増えてきたようでした(-でした、と言うのは家業を継いだ次兄から聞いた話が多く、私が会いに行っていた間はそこまで進んでるようには、正直見えませんでした)。
昨年夏、本人の希望により、介護施設に入居しました。経緯の詳細は省略しますが、症状の進行による生活維持の困難、が理由です。
母屋の建て替えを機に、先に建てた離れである新居で、母との2人暮らしを初めて、2年目ののことでした。
この間、私は職場に近い街で1人暮らしをしていたので、上記にあるように、両親の介護にはほぼ関わっていませんでした。なんですが、、、
秋に入って、母を独りにさせているのが、いよいよ耐えきれなくなってきたのと、加えて自分の職業上の理由により(任期が切れた後の異動先がなかなか決まらなかった)、
昨年末、母の側に戻ることにしました。面倒をみるのを言い訳というか建前にしてますが、家賃が浮くのは助かります(これを実行に移すため、私は引越し前から東京に活動拠点を移し、そこを足場に、年明けには新たに学会英文誌の仕事と、4月からは非常勤ですが研究員のポジションも取れました)。
母がいつの間にか家事能力が本当に無くなってしまったのを知った時は、けっこうショックでしたが。透析も10年目になるのだから、もう仕方ないでしょう。夫婦共、もう寿命なんです(父は81、母も80才)。
ちなみに実際の介護はヘルパーさんも来てくれるので、あまり大変ではなく、むしろ兄夫婦に気を使わなければならないのが、けっこうなストレスです(向こうにしても、こういう妹ってけっこう嫌だろうと思います。4人兄弟中で理系研究者なんて私だけだし。"余計なことは口にしない"を徹底して、荒波立をないように過ごしています)。
そんな折、先日、新型コロナで自宅待機ムードが高まり出した3月1日の日曜日、1ヶ月ぶりに、車椅子に乗せた母を父の施設に連れて行きました(なんと有り難いことに、自宅から非常に近いのです)。
父と母は、結婚して54年余り。非常に仲の良い、絆の強い老夫婦です。今では人の世話にならないと、2人とも生活もできないけど。父は母が大好きで、できれば母と離れたくはない人(でも、面倒見の良い今の施設もけっこう気に入っている)。
まぁ、古き良き?昭和型カップルというか、母は非常に人間ができた人ですが、一方の父はけっこうな困り者です。母が許してきたせいで、昔からずっと、我儘。自己本位。
そんな父もいよいよ、晩年。いよいよ脳の寿命なのだろう、と。娘ながら冷静に彼の衰えを観察してしまう自分がいます(こういう妙に客観視してしまう癖、研究者だからというより、サイコパス形質があるのかもしれないです。自分でも自分が怖い時があります)。
1時間近く母とお喋りして、眠そうで休みたくなる父。お昼も近づいてきたから、そろそろ帰りましょうと。促す私。父も疲れてそうだったし、同様に母も、長時間は疲れてしまう。そもそも、受付でスタッフの人に新型コロナが流行ってるから、短時間と言われていたのに(実際3月から原則面会中止だった)。もう1時間近い・・・
車椅子を押し、私は母を父の居室から外に連れ出そうと。すると父も『見送る』、と付いてきました。毎回のことです。。。が、回を重ねるたびに父の足取りはおぼつかず、転倒しないか、こちらも心配になってしまう。2人に注意を払いながら、廊下を移動します。
エレベーターにも、3人一緒に乗り込みました。3階から出口のある1階に降り、ここで、母と私の2人は外に出ます。
そして振り返ると、今日はもうここまででいいのか(以前は出口まで見送りに来た)、エレベーターの中に残った父が、母と握手を交わした後、『ありがとう』と笑顔を、、、見せたのですが、
その笑顔が、私はこれまで見たこともない、ある種"輝いた笑顔"でした。
亡くなった祖母の顔が重なって見えたのです。
祖母が亡くなってから、もう30年くらい経ちます。祖母についてはここでは詳しく書きませんが。父と祖母は、微妙な間柄でした。
とにかく、
気のせいだろうとは思いますが、それまで何度も見てきた父の顔とは違っていて、重なるというか、覆いかぶさるように、そこには、昔見た祖母の笑顔があったのです。白くぼうっと浮き立つように、なんと表現したらいいか、とにかく、、、
その顔は、本当に輝いてました。
私は驚きながらも冷静な気持ちで、
あゝ、男の人は皆、最期は母親に還っていくのかなぁ・・・
と感じながら、その場を立ち去りました。
その後、無事に母を連れ帰り、母は「ありがとう」と嬉しそうにしながらお昼ご飯を食べ、ひと段落した後、私は自分の仕事に戻りました。
両親の介護については、特に父の現状については、ブログに書くべきか少し悩んでましたが、
これからは、時折書いて行こうかと思います。
長兄は精神障害者だし、私も自他共に認める変人だし、
色々ありすぎるくらいあるから、公開しないほうがいいこともあるよなぁ、と、ブレーキがかかることが多いのですが、
晒すことで、誰かの救いになるかもしれない、、、
そんなこともあるかな。と。
少し開き直っています。
もちろん、プライバシーについては、最新の注意を払っていきます。
ですので、公開後の編集や削除については、どうかご容赦ください。