Madam toad's blog

オカシイのは私ではなく、この世界。

所詮、ただの「物語」なのだから、、、

人は物語を生きている、

って考えてます。

 

物語っていうと、「空想の世界」て感じしますけど。実際そうです。

現実を生きてるけど、物語を生きてると思います。

 

そう、所詮「ものがたり」なんですよ。

 

現実の受け取り方は人により様々だし。生物でいったらもっとですよ。見てる世界、感覚器も違うから。認識してる世界が全然違う(観世界という概念もあります https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E4%B8%96%E7%95%8C)。

 

そう、起こってることは確かに現実でしょうが、私たちの場合、ただの反射で生きていけないでしょう?

記憶するし、過去現在未来と、考えてしまう。

現実には理由があると、結果には「原因」があると、考えてしまう。

 

サイエンスの世界ってのはまさにそういう世界で、因果関係とかに囚われちゃうんですよね。物質として特定できてると記載しやすいんだけど。

生態はダメだよね。ダメって言い方悪いけど(笑)進化とか言い出すともっとダメ(笑)

今に始まったことではないんですけど、大学院入った時から、常々悶々としたし。学位取ってから色々グルグルしてるうちに、いよいよ限界かな〜とか考えながら、去年は哲学まで戻っちゃったけど、、、

一周回って占い師まで逝ったら、

まぁ、、、

落ち着いて来ました。

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まず、研究とか仕事については、

人は人、自分は自分、

を改めて徹底する。

 

そして、自分の生き方、人生については、

これは、またまた改めて、

 

どうせ物語なのだから、

 

だからこそ、

 

居心地のよい物語を、

 

と。

 

 

苦しいとか辛いとか、なんでこうなっちゃうんだろう?不幸だなぁ、とか

そういうマイナスな状況に落とし込んで、自責の念に駆られたところで、いつまで経っても気が晴れない。ちょっと元気になってもまたすぐ落ち込む、の繰り返し.....

 

だけどこの「辛い私」な状態も、自分で作った「物語」なんだよな、、、て、俯瞰する。

 

 

運命があるかはわからないけど、生まれた場所時間環境、変えようがない、選べない属性については如何しようも無い。

だけど、だからこそ、

どんな物語を生きるか、

は自分の自由だと信じる。

 

容姿性格能力全てに遺伝が大きく関わることも分かっている。

それでも、

物語はつくれる

と信じる。

 

何を選ぶか、に焦点を当てる話ではないです。どう感じるか、どうストーリーを作るか、それが問題になるんだと思います。

だって、「選べる範囲」が実際どこまであるのか?って、これってかなり難しい問題ですから。

 

 

私はこれまで、常に選択に迷って来たように思います。どちらに進めば良いかとか、どんな言葉を選べば良いかとか、

もちろん、それは重要なことだったりするけど。

言葉なんかは特に、受け取る側の問題もあるので、自分でどうにかできる範囲には限界があります。

よく言われてるように、人を変えることはできないし、もっとわかりやすく言えば、「他者の人生を生きる」ことは決してできません。

 

結局のところ、人生を生きるとは、

「自分の物語をどうしていくか」という問題であると感じるようになりました。

 

なんでこんな考えにシフトしようとしてるのか?て言ったら、

人生に疲れた、とも言えるし、面倒から逃げることにした、だけかもしれません。

 

でも、みんな最後はどうせ死ぬから。

骨になって、灰になるだけ。何も残らない。

 

魂を信じるのは自由ですが、その魂に載せる物語は?と考えれば、やはり、同じ。

 

だから、それまでの、死ぬまでの間は、

できる限り、良い気分でいたい。

周りにも優しくしていられるような、余裕を持っていたい。

 

良い物語の中にいたい

 

 

一度きりの人生だから。

一度きりの素敵な「ものがたり」を。

 

  

 

 

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