大人の発達障害、デビューしました(笑)
過去にも精神科医にグレーはありそう、と言われてはいましたが、この度、臨床心理士より、ASD、およびADHDの指摘を受けました。
ウヘヘ・・・
ADHDはまだしも、アスペはないだろ!と思って、言われた際「なんでそう思うんですか〜!!!」と反論したものの、、、冷静に考えると、遺伝的背景は残念なくらい裏付があるし(統合失調症で精神障害者の10歳上の兄はアスペの二次障害である可能性が高いと考えられてる)、これまでの苦しい人生、大鬱、双極二型も二次障害だったと考えると、恐ろしいくらい整合性があり、、、
次第に、そうですね、一週間後も立たないうちに、「発達障害」を受け入れる自分がいました。
生まれながらの気質なので、治りません。遺伝です。
と言っても、母も父も、普通の人です。父は多分、ADHD持ちだろうと思いますが、昔は仕事できてれば誰もそんなこと「病気」にしません。いちいち。そんなことしていたらキリがないからです。
ちなみに、父親の年齢と発達障害児の出生率は相関があります。母親の年齢は関係ありません。あるのは染色体異常のダウン症などです。遺伝子の突然変異の影響は、全て男性側にあると考えてまず間違いありません。これは単なる生殖細胞の特性です。それに、突然変異そのものは、必ずしも悪いことを意味しておらず、大半は中立で影響のないものです。そもそも、生存不可能なほど有害な突然変異が入れば、生まれてこれません。深刻な染色体異常同様、長く生きれられません。。。まぁとにかく、あまり難しく考える問題でもなく、どんなことにも、いい面と悪い面がある、それだけだと思います。
私は4人兄弟で、兄・姉・兄・"私"、の順ですが、真ん中二人の姉と兄は、非常に現実的で、結婚して家庭を持ってます。彼らは一応大学卒(学部卒)ではありますが、学問には殆ど興味を持っていません。オタク的趣味もありません。
私と精神障害者の長兄には、認めたくないが共通点があります。学問が好きです。哲学など小難しい問題が好物です。
しかし、大きな違いがあり、私はおそらくより論理的で合理主義です。進んだ道も最終的に理系です。自然に魅せられた自然科学者の一人です。が同時に、芸術がめちゃくちゃ好きで、子供の頃から美術と音楽が得意でした。勉強は全くせず、授業中も漫画を描いてました。宿題があった覚えもありません。あったとしても、家に帰ると勉強しないので、おそらく全て授業中と休み時間に済ませていたのだと思います。あとはガチで忘れたか...
子供の頃から、「面白い子」「変わった子」「黙ってれば美人なのに」という枠にいました。。。半分演じてた面はあります。両親も忙しく年の離れた兄弟ばかりで、ずっと一人でしたので。相手にしてもらうため、注目を惹きつけるために、わざとウケそうな言葉を発してました。4つ上の兄に相手をして欲しくて、髪を抜いたりもしました。幼少期の頃のことは、よく覚えています。
大人の中で育った末っ子なので、知恵をつけるのも早かったと思います。幼稚園生の頃に絵本を製作してました。子供の頃から創作作業が、非常に好きでした。その習慣が積み重なり、いつの間にか独特の自分ワールドを築くに至ったのだと思います。
今振り返ると、学校でも、バイト先でも、大学院でも、どこに行っても「不思議ちゃん」扱いだった私が、発達障害があると言われても、何ら不思議ではないように思います。
ちなみに、ASDよりADHD特性の方が強いのではないか、と言われてます。自分でもそう思います。
ただ、ADHDの特性だけだったら、たぶん研究者にはたどり着かなかった気もします。ADHDの人は起業家が多いイメージですが、研究者で成功してる人には、やはりASD気質が多い気がします。「気がします」なので、あくまで観測範囲から得られるイメージなので、あてになりませんけど。拘りや執着、オタク気質、そして何より論理性や客観性は、ASD気質のおかげな気がしてます。
不器用すぎる人生を生きていて、今も抗うつ剤服用しないとならない状況に陥っておりますし。ものすごく生きづらいし、「死にたい」と思ったことは一度や二度ではありません。
ただ、私の症状はこれでも軽いんです。発達障害としては、深刻なレベルとは言えないと思います。これでも。二度も閉鎖病棟に入院した過去があるほど苦しんできていても、です。
それくらい、一般の人が思うより、大変な思いをしてる人が多いということです。軽い問題では無いということです。。。て伝わればいいのですけど、、、まあ、なかなか、伝わりにくいでしょう。それに最近は、まるで障害=特権のように使われちゃう側面も、ありますからね。声がでかすぎるのも、どうかと思います。
今回、初めて自分にも発達障害があるらしい、と自覚できたことで、ずっと憎んできた精神障害者の兄について、少し理解を抱けるようになりました。といっても仲良くするつもりはありませんが。それでも、今まで他人事だったアスペが、自分も持っている性質となれば、どうしても見方が変ります。
ある哲学系の勉強会で『あなたのような女性は初めてだ。女性で、このような議論についてきた人はいない。』と言われたことがありました。
その時は、「?」でしたが、考えてみると、女友達で哲学書を好む人は一人も知りません。恥ずかしい話ですが、自分が難しい問題を好んだり妙にロジカルなのは、頭がいいからだと思ってました。が、それだけでは説明ができないのかな、と思えてきました。私は本当に変わってるのかも知れない、と。
実際、頭がいいのではなく、変わってるんだと思います。普通の人(頭の良し悪しに関わらず)にとってはどうでもいい問題が気になって仕方ない、というのは既に変なわけですし。
特に、言語の問題で、変なところが目立ちます。
これまでも、「相手が何を言ってるのかわからない」とフリーズすることが多々ありました。言葉の意味・概念を共有できてない、と感じたり、言葉を発してる人間がその言葉を理解してない、と感じる場面では、大変混乱します。
また、恋愛ができません。相手の言葉を額面通りに受け取り、なぜかよくトラブってきました。細かいとことは忘れましたけど(笑)
心理士に、『あなたは言葉が定義されないとダメなんですね』と言われましたが、まさしくその通りで、私は、融通が利きません。学問の場面では特に、「もの」が特定されてない「あやふやな抽象概念」を扱うのが、非常に苦手です。なぜフワフワしたままで運用できるのかが、逆にわからないんです。いわゆる文系の人にイライラするのはこのためです。
こういう頑固さは、ASDっぽい感じはします。女子トークも苦手です。あれ中身ないじゃないですか。なんとなく、その場の空気に合わせないとならない。大変なストレスです。
一方で、ADHDの特性もよくでます。電車はしょっちゅう乗り間違えるし。物忘れも頻繁。常に頭の中にゴミがたくさんで、なかなか集中できません。かと思うと、過集中で寝るのも食べるのも忘れる。。。
しかし、両方の特性を持ってると、時に打ち消し合ってしまい、外から見ると、とても発達障害を持つ人間には見えないことも多いようです。というか、私自身、自分は定型発達だと思ってました。あってもグレーゾーン程度、と。
しかし、私もちょっと偏見に陥ってたように思います。誰だって生きるのは辛いもの。この程度でヘタれるのは自分がだらしないから、と。
ぶっちゃけ軽度の鬱には慣れてしまっていました。
先日も、医者に『本来なら、抗うつ剤を出すのだけど、あなたは躁転歴があるから、今日は抗不安剤だけにします』と言われた際に「えっ、普通はこのくらいで鬱病なんですか...」と戸惑いました。慣れって怖いです。結局、その10日後に、私は抗うつ剤をもらいました。
「こんなもんだ」、「誰でもそうだよ」、と周りの人に聞かされ続けると、自分の痛みに鈍感になるのではないか、と思います。私自身、自分だけでなく、他者にも厳しくなっていました。
もっと、優しくなるべきだと反省してます。自分にも。他人にも。
結局、苦しみに耐えたところで、救いのないものは、無いので。それどころか、「自分だって苦しんだのだからお前も苦しむべき」、と、呪いの連鎖を生むだけなんですよね。
私ももう40代に入ったいい中年ですし。今さら、青春を取り戻せるわけでもありません。。。
いい意味で、もう諦めよう、と思います。
そうか、私は頑張っても、普通にはなれなかったのだ。「普通」を諦めよう。「みんなそうだ」に耳を塞ごう。
自分はもう十分苦しんだと思っています。もう解放されたいんです。いい加減。
もっと幸せになりたい。
今はただ、そう思います。
自分が幸せでないと、誰も幸せにできないから。
今まだ調子がよく無いので、支離滅裂になってしまいます。すみません。また落ち着いたら、この件に関して、改めて述べたいと思います。。。
コロナ騒ぎの中、YouTuber始めた件。
文明崩壊が近づいております・・・
そんな中、新業務に異動に介護にうまくいかないプライベートに苛々が限界原形質分離・・・
こういう時は、現実逃避したくなります。
昔からの趣味(なはず)のピアノを弾くことで精神を落ち着かせてます。
趣味と言っても、1人暮らしの期間10年くらいほぼやってなかったのだから、もう、昔の話ですけど。4歳から習ってた過去があると、ブランクで指が硬くなってても、最盛期のような集中力も技術も忘れていても、、、
好きな気持ちは、音楽への解釈などは、むしろ若い頃より深くなってるかも?しれません。
ちょっと前まではyoutubeで自分の演奏を公開なんて考えられなかったけど。まぁ、どうせ人生一度きり。いずれ死ぬわけだし。旅の恥はかき捨て。
こんな時なので、もう、人生あとどのくらい?健康はいつまで?そもそも、こうしてピアノに触れるのは最後の機会では?(母の介護をしてるから実家の離れに居て昔使ってたピアノを弄れる機会を持てた)
などなど、、、
で。急に思い立ち、今回、以前ペットやヒキガエルの動画を上げてたIDとは別に、今回新たに「風呂上がりピアノ練習シリーズ」のchannelを作りました。
色々考えると、本当に好きな「音楽」というものに、人生後半戦に入った今、私なりに改めて向き合いたく、そしてなんとなく、誰かの耳に届けば楽しいかな〜♪と。
たくさんのプロの演奏が公開されてる中、まぁ、こんなど素人の練習を視聴する方はいませんでしょうが。それは、それ。youtuberって星の数ほどいるし。自己満足で終わったって、誰も傷つけるわけでもなし♪
サティ、ドビュッシー(好きだから)あたりを中心に、風呂上がりノーメークのあくまで「練習」スタイルでやってまいります。
風呂上りピアノ練習#1 [Gnossienne 1. Erik Satie]
改めて、繰り返し?申し上げますと、
私が一番好きなのは「音楽」です。時間も金もかかるし、音楽一つに絞れなかったので、趣味の域に留まってますが、本当に好きです。ピアノだけでなく歌うのも好きです。
けれど、仕事で研究を選んだことに、後悔はありません。
風呂上りピアノ練習#4 [Gymnopedie1. Erik Satie]
始めたばかりということもあり、易しい曲からスタートしてることもあり、結構な頻度でupしてますよん♪
今後、練習が必要な難しめの曲(予定)になってくと、頻度は落ちつと思います。
よろしくです♪( ´θ`)ノウフフ
父の中に初めて亡き祖母を見てしまった・・・。
私の父は2年弱前(1年10ヶ月くらい前かな)、「レビー小体型認知症」の診断を受けました。そして現在、着実に進行しており、おそらくは、数年以内に(たぶん今の様子だと2年以内には)、寝たきり状態か、亡くなっているでしょう。
診断を受けた1年目は、症状がある時もあればない時もあり、といった感じで、普通に会話ができる日が多かったので、ちょっと怪しい言動があっても、今のは症状なのか?という判断が難しかったです。ただ、幻覚はけっこう頻繁に訴えてましたね。リアルすぎて、聞いてるこちらが戸惑うくらい。月1、2回しか会ってなかった当時は、「〇〇が来た」系話は本当のことのようでした(実際、中には本当のこともあるので、余計にわかりづらい)。
2年目に入ると、症状がでる頻度が増え、まずパーキンソン症状が進み(歩行や手先の運動に不自由さが際立ってくる)、そして認知的にも記憶違いや勘違いが増え、これが幻覚とセットになって、明らかにオカシい行動を取ることが増えてきたようでした(-でした、と言うのは家業を継いだ次兄から聞いた話が多く、私が会いに行っていた間はそこまで進んでるようには、正直見えませんでした)。
昨年夏、本人の希望により、介護施設に入居しました。経緯の詳細は省略しますが、症状の進行による生活維持の困難、が理由です。
母屋の建て替えを機に、先に建てた離れである新居で、母との2人暮らしを初めて、2年目ののことでした。
この間、私は職場に近い街で1人暮らしをしていたので、上記にあるように、両親の介護にはほぼ関わっていませんでした。なんですが、、、
秋に入って、母を独りにさせているのが、いよいよ耐えきれなくなってきたのと、加えて自分の職業上の理由により(任期が切れた後の異動先がなかなか決まらなかった)、
昨年末、母の側に戻ることにしました。面倒をみるのを言い訳というか建前にしてますが、家賃が浮くのは助かります(これを実行に移すため、私は引越し前から東京に活動拠点を移し、そこを足場に、年明けには新たに学会英文誌の仕事と、4月からは非常勤ですが研究員のポジションも取れました)。
母がいつの間にか家事能力が本当に無くなってしまったのを知った時は、けっこうショックでしたが。透析も10年目になるのだから、もう仕方ないでしょう。夫婦共、もう寿命なんです(父は81、母も80才)。
ちなみに実際の介護はヘルパーさんも来てくれるので、あまり大変ではなく、むしろ兄夫婦に気を使わなければならないのが、けっこうなストレスです(向こうにしても、こういう妹ってけっこう嫌だろうと思います。4人兄弟中で理系研究者なんて私だけだし。"余計なことは口にしない"を徹底して、荒波立をないように過ごしています)。
そんな折、先日、新型コロナで自宅待機ムードが高まり出した3月1日の日曜日、1ヶ月ぶりに、車椅子に乗せた母を父の施設に連れて行きました(なんと有り難いことに、自宅から非常に近いのです)。
父と母は、結婚して54年余り。非常に仲の良い、絆の強い老夫婦です。今では人の世話にならないと、2人とも生活もできないけど。父は母が大好きで、できれば母と離れたくはない人(でも、面倒見の良い今の施設もけっこう気に入っている)。
まぁ、古き良き?昭和型カップルというか、母は非常に人間ができた人ですが、一方の父はけっこうな困り者です。母が許してきたせいで、昔からずっと、我儘。自己本位。
そんな父もいよいよ、晩年。いよいよ脳の寿命なのだろう、と。娘ながら冷静に彼の衰えを観察してしまう自分がいます(こういう妙に客観視してしまう癖、研究者だからというより、サイコパス形質があるのかもしれないです。自分でも自分が怖い時があります)。
1時間近く母とお喋りして、眠そうで休みたくなる父。お昼も近づいてきたから、そろそろ帰りましょうと。促す私。父も疲れてそうだったし、同様に母も、長時間は疲れてしまう。そもそも、受付でスタッフの人に新型コロナが流行ってるから、短時間と言われていたのに(実際3月から原則面会中止だった)。もう1時間近い・・・
車椅子を押し、私は母を父の居室から外に連れ出そうと。すると父も『見送る』、と付いてきました。毎回のことです。。。が、回を重ねるたびに父の足取りはおぼつかず、転倒しないか、こちらも心配になってしまう。2人に注意を払いながら、廊下を移動します。
エレベーターにも、3人一緒に乗り込みました。3階から出口のある1階に降り、ここで、母と私の2人は外に出ます。
そして振り返ると、今日はもうここまででいいのか(以前は出口まで見送りに来た)、エレベーターの中に残った父が、母と握手を交わした後、『ありがとう』と笑顔を、、、見せたのですが、
その笑顔が、私はこれまで見たこともない、ある種"輝いた笑顔"でした。
亡くなった祖母の顔が重なって見えたのです。
祖母が亡くなってから、もう30年くらい経ちます。祖母についてはここでは詳しく書きませんが。父と祖母は、微妙な間柄でした。
とにかく、
気のせいだろうとは思いますが、それまで何度も見てきた父の顔とは違っていて、重なるというか、覆いかぶさるように、そこには、昔見た祖母の笑顔があったのです。白くぼうっと浮き立つように、なんと表現したらいいか、とにかく、、、
その顔は、本当に輝いてました。
私は驚きながらも冷静な気持ちで、
あゝ、男の人は皆、最期は母親に還っていくのかなぁ・・・
と感じながら、その場を立ち去りました。
その後、無事に母を連れ帰り、母は「ありがとう」と嬉しそうにしながらお昼ご飯を食べ、ひと段落した後、私は自分の仕事に戻りました。
両親の介護については、特に父の現状については、ブログに書くべきか少し悩んでましたが、
これからは、時折書いて行こうかと思います。
長兄は精神障害者だし、私も自他共に認める変人だし、
色々ありすぎるくらいあるから、公開しないほうがいいこともあるよなぁ、と、ブレーキがかかることが多いのですが、
晒すことで、誰かの救いになるかもしれない、、、
そんなこともあるかな。と。
少し開き直っています。
もちろん、プライバシーについては、最新の注意を払っていきます。
ですので、公開後の編集や削除については、どうかご容赦ください。
上の人間に一番やって欲しくない事。
教育に携わる人はもちろん、親にしても職場の上司にしても、
これまでの人生で、所謂「上からモノ申せる立場」な人たちが「下」と考える人間に対してとる態度として、一番最悪だなぁ、と感じたこと
discourage
する行為。
大した事ないんだから、と決めつける
そのくらいでしょう、と「上限」を勝手に設定する
勝手に"自分たち"のくくりに入れて、それを超えようという意欲を削ぐ
子供の頃、10代半ばくらいまでの私は、本心ではもっと頑張れるんじゃないか?と思うことはあっても、
でも、まぁ期待されてないし、、、上を超える行為は秩序を乱すからよくないだろうし、
と感じながら成長し、実際、行動と結果に反映させてきました。
なぜそんな風なネガティブ思想だったのか?て言えば、
そういう空気・圧力を感じ取ってきたから。
その空気を感じたのは、親族だけではありません。
学校の先生
習い事の先生
友達
周りの大人etc...
特に最悪だったな、と感じるのは、
がっこのせんせい
教師。
小学校の先生は論外として、中高もひどかった(全員ではないけど)。
所謂進学校ではない女子校にいたので、
教師がもう、舐めてる。使えないだけでなく悪影響を及ぼすのがいた。常勤より非常勤の方が賢かったりもして興味深かった(今は背景がよくわかる)。
教育者の役割って本当に重要ですよね。
だって、一方で、
本当に自分を導いてくれる人、もいるから。
私に今があるのは、東大院で学位をとって研究者になってる理由は正にそれだから。
encourage されたから。
転換期は予備校でしょうか。すごい人っているもんだなぁと感じる人たちから差別のない授業を受けて、
やっぱり本音は、自分は学問が好きだわ
と知った時期。
その後紆余曲折はありましたが、
私が出会い、影響を受けた大学と大学院で出会った先生方は、本当に素晴らしかったです。足向けて寝れないレベルの方は3人いますが。ここで名前を出すのは控えます。
特に大学院生活はよかったです。厳しかったけど、上を目指そう、という空気が最高でした。学友にも深く感謝します。
今は、ちょっとつまらないです。
周りのせいだけではないでしょうが、抑うつ気味になりました。
ここを抜け出さない限り上昇はないな
とわかってはいても、業績も伸ばすことができず
ここ2年ほどは、本当に負のスパイラルでした。
そして今やっと抜け出す機会を得ました。
なぜ discourgeするのか?
よくわかります。
自信がないから。これに尽きるでしょう。
けれども、ネガティブなことを言われた側は「自分の問題」であると感じます。
自分はそんな程度なんだろう、できが悪いんだろう、と感じます。
でも違うんです。
「相手の問題」なのです。
人間誰しも完璧にはなれませんし、年長者だからと言って、必ずしも経験が上なわけでもなく、もっというと経験に関わらず、学びの程度、理解度には大きな個人差があります。
また頭の良し悪しや学歴と人柄はあまり関係ありません。あらゆる能力・才能と人間的な成熟度は関係ありません。
若くとも、学歴がなくとも、精神年齢が高い人はたくさんいます。そういう方は、discourageしません。
そんな私も、精神年齢が高い方ではないです。非常に子供っぽいところがあり、40を過ぎても反省ばかりの毎日です。
間違ったことを言ってしまったり、若い人に不適切なアドバイスをすることがあるかもしれません。いえあるでしょう。それについては、申し訳ないとしかいえません。
ただ、上の立場にある人間が最もしてはいけない事は、
「discourage」
ではないでしょうか。
他のミスは挽回できるかもしれませんが、これをされたらもう、もっと成長したいと考える側は、二度と心を開かないのではないでしょうか。
もちろん個人差はあるけれど、上の人の言葉の力は強いです。指導者なら尚更。
子供や学生は、あなたが考える以上に、あなたの言葉の影響を受けます。
自分の場合は感受性が強過ぎたのかもしれません。またもっと自己肯定感が強ければ、それほど気にならないのだろうとも思います。
だけど、こんな人間もいるんです。
空気を読みすぎても、同調圧力に押しつぶされそうになっても、
私は根が頑固なのでしょう・・・
本来の自分に向き合い、とことん考えて、決心して、動き出して、
時間はかかりましたが、
自分の力を信じてくれた人を信じることで、
逆境から這い上がってきました。
とにかく、discourageせず、背中でencourageしてくれた人、
この人たちに救われてきました。
それは近所のおばあちゃんだったり、快く教えてくれた人だったり、いつも元気付けてくれるペットだったり、、、
どんなバカをやってしまっても、決して否定をしなかったひとたち。
だから私も
そういう大人になりたい
そういう大人でいたい
て強く思います。
所詮、ただの「物語」なのだから、、、
人は物語を生きている、
って考えてます。
物語っていうと、「空想の世界」て感じしますけど。実際そうです。
現実を生きてるけど、物語を生きてると思います。
そう、所詮「ものがたり」なんですよ。
現実の受け取り方は人により様々だし。生物でいったらもっとですよ。見てる世界、感覚器も違うから。認識してる世界が全然違う(観世界という概念もあります https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E4%B8%96%E7%95%8C)。
そう、起こってることは確かに現実でしょうが、私たちの場合、ただの反射で生きていけないでしょう?
記憶するし、過去現在未来と、考えてしまう。
現実には理由があると、結果には「原因」があると、考えてしまう。
サイエンスの世界ってのはまさにそういう世界で、因果関係とかに囚われちゃうんですよね。物質として特定できてると記載しやすいんだけど。
生態はダメだよね。ダメって言い方悪いけど(笑)進化とか言い出すともっとダメ(笑)
今に始まったことではないんですけど、大学院入った時から、常々悶々としたし。学位取ってから色々グルグルしてるうちに、いよいよ限界かな〜とか考えながら、去年は哲学まで戻っちゃったけど、、、
一周回って占い師まで逝ったら、
まぁ、、、
落ち着いて来ました。
まず、研究とか仕事については、
人は人、自分は自分、
を改めて徹底する。
そして、自分の生き方、人生については、
これは、またまた改めて、
どうせ物語なのだから、
だからこそ、
居心地のよい物語を、
と。
苦しいとか辛いとか、なんでこうなっちゃうんだろう?不幸だなぁ、とか
そういうマイナスな状況に落とし込んで、自責の念に駆られたところで、いつまで経っても気が晴れない。ちょっと元気になってもまたすぐ落ち込む、の繰り返し.....
だけどこの「辛い私」な状態も、自分で作った「物語」なんだよな、、、て、俯瞰する。
運命があるかはわからないけど、生まれた場所時間環境、変えようがない、選べない属性については如何しようも無い。
だけど、だからこそ、
どんな物語を生きるか、
は自分の自由だと信じる。
容姿性格能力全てに遺伝が大きく関わることも分かっている。
それでも、
物語はつくれる
と信じる。
何を選ぶか、に焦点を当てる話ではないです。どう感じるか、どうストーリーを作るか、それが問題になるんだと思います。
だって、「選べる範囲」が実際どこまであるのか?って、これってかなり難しい問題ですから。
私はこれまで、常に選択に迷って来たように思います。どちらに進めば良いかとか、どんな言葉を選べば良いかとか、
もちろん、それは重要なことだったりするけど。
言葉なんかは特に、受け取る側の問題もあるので、自分でどうにかできる範囲には限界があります。
よく言われてるように、人を変えることはできないし、もっとわかりやすく言えば、「他者の人生を生きる」ことは決してできません。
結局のところ、人生を生きるとは、
「自分の物語をどうしていくか」という問題であると感じるようになりました。
なんでこんな考えにシフトしようとしてるのか?て言ったら、
人生に疲れた、とも言えるし、面倒から逃げることにした、だけかもしれません。
でも、みんな最後はどうせ死ぬから。
骨になって、灰になるだけ。何も残らない。
魂を信じるのは自由ですが、その魂に載せる物語は?と考えれば、やはり、同じ。
だから、それまでの、死ぬまでの間は、
できる限り、良い気分でいたい。
周りにも優しくしていられるような、余裕を持っていたい。
良い物語の中にいたい
一度きりの人生だから。
一度きりの素敵な「ものがたり」を。
実際、N国党を生で見た結果、
好きかどうか、わかんなくなちゃった!ϵ( 'Θ' )϶
この前、池袋まで「N国党」の演説を聞きに行って来ました。Youtubeで予告してたやつ。
14時ちょっと前に着いて、もう人集りができてました。周りの人たちは皆ガチに立花さんのファンみたいでした。
いや私がガチじゃないわけではなく、別にふざけてるわけでもないんだけど。。。
なんだろ。「好き」って。
うーーん、、、やっぱ「好き」じゃないかも。
いやその。立花氏はいったん 置 い て お い て、
私は演台に立つことはできないし、政治家は無理だわってのはわかりました。
立候補する気だったんかーーぃい!だけどw
ちょっと、市議会議員クラスならいけそじゃね!?て思ってたとこあります。金欠なので。
いや、しないよ。しないしない。今回ほんとそこはハッキリしました。
なだろねー、立花さん、すごい人だと思うけど、
話の内容とか、彼女さんとか、まぁ、要するに
若い女贔屓が目に付く。
BBAの嫉妬、て思われても結構ですよ、かまやしません( ˘ω˘ )
私、余裕ですから。イイ女なので( ˘ω˘ )
まぁ兎に角ですね、世の半分は、女性ですね。そんで、人口動態見ましょうか。
おばちゃんを敵に回す作戦は、ダメですね。いや敵ではないけど。気分を害する発言ですね。ダメですね。票田自ら失う行為ですね。
若い女好きでも全然良いと思いますよ。普通そうですし。
だけど、ほんとーにイイ男、大人の男性は、不釣り合いなほど若いのにはまず滅多に行きませんね。
わかりやすい格下、言いくるめられる世間知らずの女、をガチで恋人や妻にしちゃう系は、若い頃モテなかったが中年の今は地位や金があってモテる系あるあるの、
心の底では女性を信用できない、ちょっとかわいそうなタイプです。ほぼ間違いなく。
反対に、
女性をパートナーとして見れる成熟した男性は、女を物と見ない(内心見てしまってても表に出さない)!
これはマジです。
これは、自分に自信があるかないか、の問題です。
そして、真にモテるかモテないか、の問題に近いです。
なので、立花氏は苦労されたのでしょうが、やはり、モテには心の底から自信がある方ではないでしょう。
別になくてもイイと思うのだけど。そう、なくていんだよ!そんなもんは!!
モテに自信がないけど、女にチヤホヤされたい欲が強い男性は、
いくら稼いでも、いくら有名になっても、
ずっと、
残念さを引きずります。某TOKIOのオッサンのように。
ま、
若いねーちゃん云々は置いておいても、
性的ネタ関連の立花氏の下品な発言を生で聞いた私は、
だいぶ残念に感じました。
やはり、腐っても鯛。でいたい。自分は。
ブラックユーモアは大好きですが、それはどこか品が保たれてるからこそ。
皮肉がウィットに富む発言として許容されるのも、その人に教養があるから。
この辺りのさじ加減は非常に難しいのですが、
「頭の良さ」が真に判断されるのも、この辺りのようにも思います。
でもまぁ、、、立花氏は、今後も活躍されると思います。
人気を背負った分、世の中を、良くして行ってもらいたいです。
既得権益の膿はぜひ出してもらいたいです。
真面目な人間が損をする、一度転落するとなかなか這い上がれない、そんな社会は私も大嫌いです。
弱い人の側に立ち、世の中を良くして行ってほしいです。
心の底からそう思います。
そういう意味では応援します。
ただ、下品さはほどほどに。と感じました。
露出を増やしたいなら、多くの賛同者を得たいなら、余計に。
それかあれかな!?不倫やらセクースやら叫んであれは、わざとというか、
和製インセル層の人気を集めたい作戦でもあるのかな?それならわかる、というか、正しい方向性でしょうね。
しかしそうなると余計、自分みたいな層はトンズラするのう...
まいっか。今は。どっちでも。
とりあえず、
埼玉県民でないので補選は投票できませんが、
良い流れができることを、陰ながら祈っております。。。。(完)
ココナラ参入3日目、初めて売れた!
いえ〜い♪
バンザーイ♪
初めて。やった!まさかのご購入!
正直、殆ど望みなかったので、1件でもすごく嬉しいです!!ありがたいっ!!!
人の役に立てる実感て、一番、幸せになれる人生要素。
近頃ますますそう感じます。。。
まぁ、占い師なんて名乗っていいのか?
て段階なのはあるんですけど。も ち ろ ん!!!
感受性と妄想力、そして苦悩だけは負けない自信がありますっ!
あと、お寺で育ったことはいろんな意味で大きな影響を及ぼし続けてきてるので、
以前は、サイエンスの世界にいるのだから、とか
実家からはとにかく独立したいからできる限り伏せるべき、とか
余計なことをあれこれあれこれあれこれあれこれあれこれ........考えすぎてきました。
この半生、色々なことがありすぎて、もうよくわからない状況になってるけど。
自分がこんな苦労するとは、子供の頃は全く想像できなかったし。
・・・色々あったけど
まだこれからも色々あるだろうけど
私も生活かかってるし、とにかくやれる限り手を尽くす。
挑戦はやめません!
それしか、運を引き寄せる事はできないから。
経験は宝。
人の言葉を鵜呑みにするのでなく、経験で肉付けしてく。
自分で経験していく。
体験、それすなわち人生、なのれすっ!!!