Madam toad's blog

オカシイのは私ではなく、この世界。

大人の発達障害、デビューしました(笑)

過去にも精神科医にグレーはありそう、と言われてはいましたが、この度、臨床心理士より、ASD、およびADHDの指摘を受けました。

ウヘヘ・・・

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ADHDはまだしも、アスペはないだろ!と思って、言われた際「なんでそう思うんですか〜!!!」と反論したものの、、、冷静に考えると、遺伝的背景は残念なくらい裏付があるし(統合失調症精神障害者の10歳上の兄はアスペの二次障害である可能性が高いと考えられてる)、これまでの苦しい人生、大鬱、双極二型も二次障害だったと考えると、恐ろしいくらい整合性があり、、、

次第に、そうですね、一週間後も立たないうちに、「発達障害」を受け入れる自分がいました。

 

生まれながらの気質なので、治りません。遺伝です。

と言っても、母も父も、普通の人です。父は多分、ADHD持ちだろうと思いますが、昔は仕事できてれば誰もそんなこと「病気」にしません。いちいち。そんなことしていたらキリがないからです。

 

ちなみに、父親の年齢と発達障害児出生率は相関があります。母親の年齢は関係ありません。あるのは染色体異常のダウン症などです。遺伝子の突然変異の影響は、全て男性側にあると考えてまず間違いありません。これは単なる生殖細胞の特性です。それに、突然変異そのものは、必ずしも悪いことを意味しておらず、大半は中立で影響のないものです。そもそも、生存不可能なほど有害な突然変異が入れば、生まれてこれません。深刻な染色体異常同様、長く生きれられません。。。まぁとにかく、あまり難しく考える問題でもなく、どんなことにも、いい面と悪い面がある、それだけだと思います。

 

私は4人兄弟で、兄・姉・兄・"私"、の順ですが、真ん中二人の姉と兄は、非常に現実的で、結婚して家庭を持ってます。彼らは一応大学卒(学部卒)ではありますが、学問には殆ど興味を持っていません。オタク的趣味もありません。

私と精神障害者の長兄には、認めたくないが共通点があります。学問が好きです。哲学など小難しい問題が好物です。

しかし、大きな違いがあり、私はおそらくより論理的で合理主義です。進んだ道も最終的に理系です。自然に魅せられた自然科学者の一人です。が同時に、芸術がめちゃくちゃ好きで、子供の頃から美術と音楽が得意でした。勉強は全くせず、授業中も漫画を描いてました。宿題があった覚えもありません。あったとしても、家に帰ると勉強しないので、おそらく全て授業中と休み時間に済ませていたのだと思います。あとはガチで忘れたか...

 

子供の頃から、「面白い子」「変わった子」「黙ってれば美人なのに」という枠にいました。。。半分演じてた面はあります。両親も忙しく年の離れた兄弟ばかりで、ずっと一人でしたので。相手にしてもらうため、注目を惹きつけるために、わざとウケそうな言葉を発してました。4つ上の兄に相手をして欲しくて、髪を抜いたりもしました。幼少期の頃のことは、よく覚えています。

大人の中で育った末っ子なので、知恵をつけるのも早かったと思います。幼稚園生の頃に絵本を製作してました。子供の頃から創作作業が、非常に好きでした。その習慣が積み重なり、いつの間にか独特の自分ワールドを築くに至ったのだと思います。

 

今振り返ると、学校でも、バイト先でも、大学院でも、どこに行っても「不思議ちゃん」扱いだった私が、発達障害があると言われても、何ら不思議ではないように思います。

 

ちなみに、ASDよりADHD特性の方が強いのではないか、と言われてます。自分でもそう思います。

ただ、ADHDの特性だけだったら、たぶん研究者にはたどり着かなかった気もします。ADHDの人は起業家が多いイメージですが、研究者で成功してる人には、やはりASD気質が多い気がします。「気がします」なので、あくまで観測範囲から得られるイメージなので、あてになりませんけど。拘りや執着、オタク気質、そして何より論理性や客観性は、ASD気質のおかげな気がしてます。

 

不器用すぎる人生を生きていて、今も抗うつ剤服用しないとならない状況に陥っておりますし。ものすごく生きづらいし、「死にたい」と思ったことは一度や二度ではありません。

ただ、私の症状はこれでも軽いんです。発達障害としては、深刻なレベルとは言えないと思います。これでも。二度も閉鎖病棟に入院した過去があるほど苦しんできていても、です。

それくらい、一般の人が思うより、大変な思いをしてる人が多いということです。軽い問題では無いということです。。。て伝わればいいのですけど、、、まあ、なかなか、伝わりにくいでしょう。それに最近は、まるで障害=特権のように使われちゃう側面も、ありますからね。声がでかすぎるのも、どうかと思います。

 

今回、初めて自分にも発達障害があるらしい、と自覚できたことで、ずっと憎んできた精神障害者の兄について、少し理解を抱けるようになりました。といっても仲良くするつもりはありませんが。それでも、今まで他人事だったアスペが、自分も持っている性質となれば、どうしても見方が変ります。

 

ある哲学系の勉強会で『あなたのような女性は初めてだ。女性で、このような議論についてきた人はいない。』と言われたことがありました。

その時は、「?」でしたが、考えてみると、女友達で哲学書を好む人は一人も知りません。恥ずかしい話ですが、自分が難しい問題を好んだり妙にロジカルなのは、頭がいいからだと思ってました。が、それだけでは説明ができないのかな、と思えてきました。私は本当に変わってるのかも知れない、と。

実際、頭がいいのではなく、変わってるんだと思います。普通の人(頭の良し悪しに関わらず)にとってはどうでもいい問題が気になって仕方ない、というのは既に変なわけですし。

 

特に、言語の問題で、変なところが目立ちます。

これまでも、「相手が何を言ってるのかわからない」とフリーズすることが多々ありました。言葉の意味・概念を共有できてない、と感じたり、言葉を発してる人間がその言葉を理解してない、と感じる場面では、大変混乱します。

 

また、恋愛ができません。相手の言葉を額面通りに受け取り、なぜかよくトラブってきました。細かいとことは忘れましたけど(笑)

 

心理士に、『あなたは言葉が定義されないとダメなんですね』と言われましたが、まさしくその通りで、私は、融通が利きません。学問の場面では特に、「もの」が特定されてない「あやふやな抽象概念」を扱うのが、非常に苦手です。なぜフワフワしたままで運用できるのかが、逆にわからないんです。いわゆる文系の人にイライラするのはこのためです。

 

こういう頑固さは、ASDっぽい感じはします。女子トークも苦手です。あれ中身ないじゃないですか。なんとなく、その場の空気に合わせないとならない。大変なストレスです。

 

一方で、ADHDの特性もよくでます。電車はしょっちゅう乗り間違えるし。物忘れも頻繁。常に頭の中にゴミがたくさんで、なかなか集中できません。かと思うと、過集中で寝るのも食べるのも忘れる。。。

 

 

しかし、両方の特性を持ってると、時に打ち消し合ってしまい、外から見ると、とても発達障害を持つ人間には見えないことも多いようです。というか、私自身、自分は定型発達だと思ってました。あってもグレーゾーン程度、と。

 

しかし、私もちょっと偏見に陥ってたように思います。誰だって生きるのは辛いもの。この程度でヘタれるのは自分がだらしないから、と。

ぶっちゃけ軽度の鬱には慣れてしまっていました。

先日も、医者に『本来なら、抗うつ剤を出すのだけど、あなたは躁転歴があるから、今日は抗不安剤だけにします』と言われた際に「えっ、普通はこのくらいで鬱病なんですか...」と戸惑いました。慣れって怖いです。結局、その10日後に、私は抗うつ剤をもらいました。

 

「こんなもんだ」、「誰でもそうだよ」、と周りの人に聞かされ続けると、自分の痛みに鈍感になるのではないか、と思います。私自身、自分だけでなく、他者にも厳しくなっていました。

 

もっと、優しくなるべきだと反省してます。自分にも。他人にも。

 

結局、苦しみに耐えたところで、救いのないものは、無いので。それどころか、「自分だって苦しんだのだからお前も苦しむべき」、と、呪いの連鎖を生むだけなんですよね。

 

 

私ももう40代に入ったいい中年ですし。今さら、青春を取り戻せるわけでもありません。。。

 

いい意味で、もう諦めよう、と思います。

 

そうか、私は頑張っても、普通にはなれなかったのだ。「普通」を諦めよう。「みんなそうだ」に耳を塞ごう。

 

自分はもう十分苦しんだと思っています。もう解放されたいんです。いい加減。

 

 

 

もっと幸せになりたい。

 

今はただ、そう思います。

 

自分が幸せでないと、誰も幸せにできないから。

 

 

今まだ調子がよく無いので、支離滅裂になってしまいます。すみません。また落ち着いたら、この件に関して、改めて述べたいと思います。。。