「科学番組」「動物ドキュメンタリー」のレベル低下について。
地上波の話です。
選びようがなかった時代と違い、CS放送、インターネット始め、選べる時代となった。だから仕方ないとは思う。
にしても、
残念。
NHKでさえ著しい。レベル云々以前に、放送時間が削減されていることが、まず嘆かわしい。加えてタレント登用とか。興ざめすぎる。
他の民放については、見る価値はないだろう。というか観ない方がよほどいい、てくらいひどい。
なんの知識もない、ばかタレントがキャーキャー言いながら動物を虐待してるだけのクソみたいな内容。真っ当な研究者ほど忙しくて対応しないので、出てくるのはタレント気取りのなんちゃって系ばかり。ほぼ野ざらし。
その結果、敷居の低い地上波ほど「骨太系科学番組」は減り、同時にそれを装う「悪質なエセ科学」はのさばった。皮肉な話である。
そうして、どんどん科学者と一般の人との距離の溝は深まった。
お互い、「声」を知らないで生きている。
その結果、
階層の、社会の「分断化」が進んでいく。
これは、私は個人的にかなりの深刻な事態と感じている。
今の時代、トリビア的な知識ほど価値の低いものはない。なぜなら「ググれ」ばいいからだ。
専門家として価値が出るのは、ググっただけではたどり着けない情報、またはその「情報の取捨選択」、「解釈」、「体系化」、そしてそれに裏打ちされた「自分自身の言葉」によるコメントだろう。
しかしこれはハードルが低く見えて実は非常に高い。にもかかわらず一般の人にはその「差」あるいは「質」が判定しづらい。なぜなら最終的なアウトプットであるコメントそのものは、誰でもできるからだ。
まっさらな聞き手ほど、コメント内容の専門性などそっちのけで、そのタレントが好きだとか、東大卒だからとか、印象だけでその人の言葉を丸々鵜呑みにしてしまうのだ。
知識をさらに自身の中で消化し昇華し、体系化できたからこそ、難しいことを噛み砕いて易しい言葉に翻訳して、つまり血や肉にしたからこそ、一般の人に伝える力を持つ。
今の地上波TVに、そういう深い文化を伝える力は、ほとんどないのではないだろうか?
というか、
いち早くそれを察知してる家庭は、とっくにCS放送、またネットに流れているのだろう。
ディスカバリーチャンネルにヒストリーチャンネルにアニマルプラネットに、好きな人間、オタクな人間に応えてくれる番組ならそっちの方がよほどある。
しかしこれらは、有料だ。その上、親にその情報をキャッチできる文化資産がなければ、子供は触れる機会が与えられない。
だからこそ、懸念を感じる。
これは私自身の経験からの本気の訴えです。というか、私は恵まれていたから、ここまでこれた、と思うから。
病気で大学を中退した後、しばらくフリーターみたいな生活をしていた私に、理系の世界に戻りたいな、もう一度頑張ろうかな、という気を持つキッカケとなり、今に至る影響を与えたのは、CSで放送していたBBCの科学ドキュメンタリーだ。
それはどれもものすごく良質で、とてもレベルの高い内容だった。小中高生のころ没頭した「NHKスペシャル」を上回っているものばかりだった。夜更かしして没頭して観ていたことが何度もある。
そしてこれはある意味ちょっとしたカルチャーショックだった。
なぜなら「次元」が違っていたから。
世界の学生は幼い頃からこのレベルに触れているのか・・・と。
映像作品の作り手は研究者ではない。だが同じ文化「=自然科学への愛」を共有していたのだ。
親が研究者でなくとも、その才能を持った子供はいるはずでしょう。
昔なら、小さな農村の学校の先生でも、目をみはるほどの優秀な生徒がいれば、高等教育を得る機会を応援してくれた。
実際、昔の方が実力社会だったという見方は結構あります。親以外の地域の大人が、子供の才能を監視してくれたし、教師は尊敬を得ていたからです。
しかし今は違う。
現代社会特有の事情で、子供の「可能性」が摘まれていたら、本当に残念に思う。
私は4人兄弟の中で唯一理系に進み、唯一大学院行って博士号を取得した。
家族の誰も、それを応援したわけでもなく、そう導いたわけでもありません。
両親は多忙でしたし、何より私もいわゆる勉強エリートではなかったから。またそれ以前に「女の子」だったから。保守的な家庭内で、気づいてもらえなかったのでしょう。
そんな私を今に導いてくれたものの大きなキッカケの一つが、NHKスペシャルで放映された「アインシュタインロマン」。
誰彼構わず鑑賞できたTV番組で、私は異次元に連れてかれたような感動を覚えた。
こんなワクワクする世界があるのか!と。
純粋に、知的好奇心が揺さぶられた。
他にも、いろんな「科学番組」「動物ドキュメンタリー」が私を育ててくれた。
それは。必死に検索したから探し出せるものではなく、日常の何気ない一コマの中で、いつも通りスイッチをつけたら放送していた、あるいはその番宣をみることができた、興味をそそられたからだ。
しかしその環境は今、現代の子に平等に与えられてるのだろうか?
これによく疑問を感じる。
ネットで選択肢は増えたようで、世界は広がっていないように思う。
親が介入しすぎることで、逆に子供の世界が奪われているようにも感じてしまう。
親とは違う世界で生きる、勝負するチャンスを、子供達から「親の知らない世界を知る機会」を、どうか奪わないでほしい。
これ以上、分断化が進むのは、本当にいやなので。
親が与えなくとも、公共のサービスで誰にでも平等に触れらる機会のある「知的財産・文化資産」を、どうか、どうか無くさないでほしい。
ちょっとした願いです。
ですが、
私はこれは非常に重要に思います。「社会」とは、そうでなければ意味がないし、存在価値そのものが問われるのではないだろうか。
誰でも自然とアクセスできる、というものにこそ、真に良質なものを提供し続けてほしい。
確かに、そんなものには短期的な成果は見込めないだろう。金にならないだろうと思う。だからこそ、公共性にこそ「質」を死守してもらいたいと願う。
以上、
雑記です。
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