孤独だなぁ、と思うとき。
あぁ孤独だなぁ、と思うことは、年々増えたかな、と思う。
特に研究しだしてから、完全に増えたと思う。
基本的に、孤独な営みだし、一人でずっと戦ってる、という感じなので。
なかなか理解者はいないし。
そりゃ、発表したり論文出したり説明すれば、それ自体は通じますよね、その中の話は、ある程度は。
でも自分が追い求めてることの本当のところ、核のような部分は、誰かと共有できるものでもないから。
本当に、孤独な営みだと思う。
またどんな時により孤独を感じるかというと、一人でいる時よりも誰かといる時の方が感じる。
特に当たり障りのない人と世間話とか、仕事上のコミュニケーションでは、孤独なんて感じない。
大勢の中とか。自分以外がワイワイしてると、孤独だなぁ、と感じる。
そして一番キツイのは、わかってもらいたいな、とか、わかってくれるかな、と期待してる相手と会って話して、全然通じてないんだな、て気がついた時。
びっくりするほど孤独を感じることがある。
ここ数年で一番、ハッとした瞬間、というか、なんて孤独なのだろう自分は、と感じたのは、
2年くらい前かな、母と話していて、「あ、何も通じてないや...」と気がついた瞬間。
あの時は、本当に深い孤独を感じた
私、どこかでやっぱり、母には自分を理解してもらい、
そう思って来たのだろうと思う。
愚痴を聞いてもらえる、一番ホッとする相手でいてもらいたかったのだろうと思う。
この人はもう、私が見えていない、とフと感じた。
そのとき、一瞬の永遠があったような感覚に堕ちたのだけど。
いや、初めから見えてなかったのかもしれない。
むしろ見えてなかったのは、私の方だったのかも。
博士課程に進んだ後だっただろうか、
『あなたにそんな才能があるのは本当に分からなかったわ。』と母に半分謝られたことがあるのだけど。
それは別に、構わなかった。知ってたし。学校の勉強や進路に関して何か介入されたことは、全くと言っていいほどなかったし。
私は親に『勉強しなさい』、て一度も言われたことないので。
それどころか、『女の子なんだから・・・』と。そういう家だったから。
散々悩んで、やっぱり、生物学に興味あるから、理系に進みたい、て打ち分けた時に、『無理でしょ。』としか言わなかった人に、その辺りのことは何も期待してない。
それは、その辺のことはもういい。
だって、自分の意思で頑張って来て、十年前、二十年前の自分と比べたら驚くほど成長したと思うから。自分でも。
知識が増えたことで世界の見方が変わった。白黒からカラーになったくらい変わった。その点においては、すごく幸せに思う。
もともと好きだった生き物のことは、もっと好きになったし。
わかってると思ってることも、また分からなくなったし。
世界の美しさにいつも感動してる。
不思議が尽きない。
こういうことが味わえる人生をもらえて、本当に幸せだと思う。
自分で切り開いた、ということにも誇りを持てる。
でも、同時に、遠くに来てしまったなぁ、と感じることはある。
人と、
話が合わない。
聴き手になってもらえても。同じ感覚を共有できない。
それなら、一人でいる方がいいかな。
そう思うことが増えたきがする。
本当はちゃんと理解してほしい。
私はたぶん、共感してほしい、共有したい、という欲が強い方。
誰かにわかってもらいたい、ていつも渇望してる。
同じように、研究してる人なら自分以外にもいっぱいいるわけで、そこでなら話が合うだろう、と思われるかもしれないが、
そう簡単な話でもなく。もちろん、専門的な話ができる、という意味で話が合う方はいる。
だけど、、、なんて言ったらいいか、利害関係がある場合とか、色々と余計に面倒臭いケースもあって…
癒しもないし。
自分勝手な話だけど。
遠くに来てしまったなぁ、と思う。
同時に、幼い頃の自分に戻ったようにも思う。
一人遊びをしていた日々とか。
眼に映るのは忙しそうにしてる母の背中。
そうだった。
そういえば、
私は、いつも一人だった。
でも最近は、自分は孤独なんだ、と受け入れることができるようになってきた。
探究も、創作活動も、一人の時にしかできないので。
どうしても付きまとうことだし。
以前の自分は、いや未だにか、
相手に通じてないな、と「壁」を感じると、口を閉ざした。
でも、個人にこだわるのではなく、どこかの誰かになら、口を閉ざす必要もないだろう。
誰かは、いつかは、受け取ってくれるかもしれないから。