私たちの「エゴ」って。
カエルたちにも「自意識」というのは、あると思う。
けれども、「エゴ」はほぼないだろう。
昔、カエルを研究し出した頃は、正直、彼らのこと、もっと舐めてた。
その行動のほとんどは生理的な反射だけで説明できるように思えたし、特に「自己」は意識してないように思えた。
だけど、
長く同居して、彼らと色々対話するようになって、行動の研究もするようになってから
考えを改めるに至った。
どうやら彼らは彼らなりの「自意識」があるようだ、と。
なんてったってヨシ子さんなんか、嫉妬心さえ持ち合わせてる可能性だってあるんだし(参考↓)
ヒキガエルのヨシ子さん、嫉妬する!の巻。A toad feels unfair.
それで
最近改めて思うのが、人間のエゴイズムの問題。
私ら、「エゴ」すごくないですか?
最近起きた事件もそう、「エゴ」が強すぎるから起きる。
他者と比べて「自分だって」と常に苦しむ。
私たちは、なぜ穏やかに暮らせないのか?
それは「エゴ」が強いから。
これは別に現代に限った話ではないと思うけど、
ネットとSNSの普及で、「エゴ」が肥大化してきてるように、どうしても感じてしまう。。。
ところで、「自意識」と「エゴ」と無神経に並べて書いてしまったけど、
この辺、非常に深いテーマを内包してると思う。
よく意識の研究をする人たちは(流行りのテーマでもある)
いきなり人間の脳から入ることが多いけど、
どう見ても、飛躍してる。ように感じてしまう。
ここから先は自分勝手な妄想的忘備録のようなものだけど、
まず第一に、シンプルな意識(ベルクソンのいうような自己中心性)は微生物を含め全生物にあると思う。
次に、自己/非自己を基礎とした「私」という意識。ここに階層があって、意思決定プロセスとリンクする形で、単純なものから複雑なものまで存在するのではないかと。そして複雑になるほど「自意識」も発達してるだろうと。
そして最後に「エゴ」がある、そんなイメージをしている。
生きづらさ、苦悩を生む、私たちの「エゴ」。
カエルなどほとんどの動物はこの「エゴ」から解放されているからこそ、
心は綺麗で、生き様がとても美しいのだと思う。
自分に疑問を持たず、それでいて世界にがっつり根を下ろし、生を諦めない。
最後まで、ただただ、生き抜く。
本当に美しいと思う。
翻って、人間の醜さといったら。
愛がどうとか、自分が評価してもらえないとか、社会が憎いだとか、親が憎いだとか、
どんだけ自分が好きなのか???
他者との関係性の問題の全てを、「エゴ」により面倒にしている。
だけど、この「エゴ」。
悩ましいが、文化の源泉とも深く関係してるに違いない。
自意識のさらなる上部構造(と呼ぶのが適切か分からないけど)、
私たちのこの「エゴ」は、どこから来たのか?
カエルのヨシ子は、今日も涼しげ。