Madam toad's blog

オカシイのは私ではなく、この世界。

私たちを隔てるものって一体なんなんだろうか。

生まれた場所だろうか

 

家柄だろうか

 

見た目だろうか

 

教育だろうか

 

 

すれ違う人と挨拶するなら

「おはよう」「こんにちは」「お天気いいですね」 或いは「すみません」、、、

 

では、その人たちと込み入った話題ができるか?、つまり、友人関係を築けるか?

といえば

やはりある程度限られてくるだろうと思う。

 

 

お互い過剰に気を使わないですむ相手、

てどういう相手かというと、

 

性格が合う、共通の趣味がある、地元が同じ、

自分と「同じ何か」を持ってる感じがあれば、打ち解けやすい

 

ただ実はそれって

経験で変わってくる部分、でもあって

 

つまり、年をとると変化する。

 

 

旧友なんかでも、学生の頃にはたくさんあった共通の話題も

その後の進路が違ってしまえば、本当に乏しくなる。

 

悲しいけど、やはり、高卒と大卒が最初の大きな分かれ道だと思う。

別に大学に行けばいいという話ではないし、人によっては独学でとか、若いときに起業して成功してしまうような超すごい人もいる。

だけどそれは、稀な話。例外を挙げてもほとんどの人には関係ないわけで。。。

 

大抵の人間はそんな天才ではない、凡人なので。

 

残念ながら、生まれながらの才能云々より

「通った道」で差が開いてく。

 

 

そしてこの差は歳をとるほど広がってく気がする。

 

 

収入の差、というのもあるけど

稼げる稼げないの問題以上に、身についたものの「差」が、中年になると大きな隔たりを生むようにおもう。

 

 

もともと、そこまでではなかった小さな差、周りのアドバイスの有無とか、親の理解とか、心を揺さぶられるような感動との出会いとか、

そんな本当に本人とは関係ないところの差で、ちょっとしたキッカケの差で

 

未来が大きく変わっていく。

 

 

 

「学ぶ」

「経験を積む」

 

 

私たちを「隔てる」もの

そんなものは本来なかったはずなのに。

 

後天的に作られていく。

 

 

 

 

 

親の学歴を超えない世帯も増えてるらしい。 

 

 

 

同じ街に住んでいても、同じ電車に乗っていても、同じ服を着ていても、

見ている情報が、違う。

 

つまり、生きてる世界が、違う。

 

同じ時代なのに。

 

 

この20年くらいで起こった一番の変化は、これ、

格差の固定化だと思う。

 

 

 

 

お互いが見えない。

 

 

忘れてしまったのかもしれない。

 

 

 

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