Madam toad's blog

オカシイのは私ではなく、この世界。

「謝罪がない」ことによる傷。

モヤモヤしてると、いろいろ過去のことまでモヤモヤしてくる…。

 

さて、謝ってもらえなかった人を許せるか? について。

mayonez.jp

なぜ、あの人は謝ってさえくれなかったのか?

そういうの、ありますよね。

 

私もあります。大小差はあるけど。大きいものではそのことで何年も苦しんだり。未だに消化できずに誰にも言えず抱え込んでいたり。。。

 

それで、謝らない人をどうするか、だけど・・・

 

私はやはり、許すのは難しいと思う。

 

ただ、ずっと傷ついたままではこちらも困るので、忘れることにする、という作業は必要。

 

恨み続けるのも自分にとって良くないので、私はとにかく、忘れることにするという選択をしている。何年かかっても、とにかく、早く辛い記憶から解放されることを願う。

 

ただ、やはり許すことはできないと思う。忘れることと、完全に許すこととは別問題だと思うからだ。

 

「謝ってさえくれなかった」という事でさらにこちらが追い込まれたので。その恨みを自分で消化し忘れる作業は、かなりシンドイ。

 

もし、謝罪があったら、たとえそれが形式だけのものであっても、少しはマシだったろうと思うし、その謝罪が非常に誠意あるものなら、かなり救われたと思う。

 

しかし、謝罪さえなかった。

 

それはつまり、相手側の視点でいうと、

貼り付けた記事にもあるように、そもそも悪いことをしたと思ってないか、または悪いことをしたとは思っていても自分の非を認める勇気がない、謝る気は起きない

ということだ。

 

これはどちらも、

 

最悪だ。

 

 

そんな人間を許そうとしても、具合が悪くなってしまう。

いわば、こちらはやられてばかりだ。

 

だから、許すまではとてもできない。もう恨まないけど、許したわけでない、というところでなんとか自分の正気を保つ。

 

 

ちなみに、謝ったからといって許してもらえるとは限らない。許す許さないはこちらが決めることで加害者側が決めることではないからだ。

だから余計に、謝罪する勇気が出ないということはあるかもしれない。

 

それでも、いやだからこそよろしくないのだ。加害者側は常に、自分を守ることしか考えてないのが見え見えだからだ。

 

「謝罪がない」ことが、いかに相手に追い打ちをかけるか。

それに向き合うのさえ逃げている。それが加害者だ。

 

 

 

深く傷つけられた経験のあるものなら、

誰でも知っているだろう。

 

 

 

謝るべきだと。

 

たとえ、

許してもらえなくとも。

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