カンノンノ・クマ・カッカ・タマルウンタ
どう、書き出したらいいだろう・・・?
私の思い出の愛犬クマ。正式名は「カンノンノ・クマ・カッカ・タマルウンタ」。犬種はチャウチャウ。享年8歳半。
あの子は、私の犬に対する恐怖を取り除き、犬大好き狂い人間に変えた。最高の相棒であり、兄弟であり、、、
家族だった。
私は物心ついた時から、常に動物がいる環境で育った。特に犬は、当然のように飼っていたので、「犬のいない生活」というのは30代で一人暮らしをするまで味わったことがなかった。
といっても、最初に自分が責任を持って飼ったのはハムスターであり、飼い犬=相棒、と言う感覚は、表題にある「クマ」と小学5年生で出会うまでは、抱いたことはなかった。
ちょうど小学4年生の時だったろうか、家にも柴犬の「ドンちゃん」という非常に賢い素晴らしい愛犬がいて、私自身、動物が大好きな少女だったのだけど、若干過信があったのか、友人の犬に噛まれたことがあった。
その傷はそれなりに深く、外科で2針縫った。噛みついた犬に対しては全く恨みはないのだけど、それまで無邪気なほど犬に対して警戒心がなかった自分は、この事件を機に、どうしようもないほど、犬が怖くなってしまった。
可愛いのだけど、体が怖がってしまうのだ。
道ですれ違うだけで、怖くて避けてしまった。
自分自身、悲しかった。動物が好きなのに、体が生理的に避けてしまう。信用してた相手に裏切られたような感覚として、「恐怖」が体に染み付いてしまったのだ。
私に噛みついた友人の犬は、ちょっと欲求不満で、情緒に問題があったので、本当にその子には一編も責任がないから、余計に辛かった。私もちろんその犬に責任など追求する気もなく、ただ沈黙していた。治療も縫ったとはいえ、大したことでもなく、すぐ回復したので。
そんな複雑な心持ちの頃、名犬(といっても差し支えないほどのいい犬だった)ドンちゃんが、早逝した。
それから1年、家族は犬のいない生活にだんだん耐えられなくなり、新しい愛犬を迎えたいと思うようになった。
そうして迎えたのが、表題にあるチャウチャウのクマちゃんだ。
チャウチャウという犬種を飼いたがったのはまぎれもない父なのだが、全くもって、チャウチャウという犬種は素人には難しすぎる、とても難儀な犬種だった。
あの頃は家族総出で世話できたからこそ、なんとかなったが。今思うと、チャウチャウはもう二度と飼えないと思う。あんな無茶苦茶な奴は、一人暮らしで飼うのは不可能だろうし。何より、猛暑が当たり前になった今日の東京では、たとえ一戸建ての家族住まいであっても、もう飼うことはできないだろう。室内飼いという手もあるけど、それを可能にするほどの条件を整えられるほどの経済的な余裕は、なかなかハードル高い。そもそも、大型犬というだけでも簡単ではないのに。あの気難しい犬種を、よくもまぁ飼ったと思う。あきれてしまう。
だけど、やはりクマは、自分史に燦然と輝く、最高の友だ。あの子は、私の一部だ。今も変わらず愛してる。
犬との絆は、経験したものなら誰しも思うだろう、その一つ一つが、永遠の宝だと。
チャウチャウは中国産の犬。その性格は、犬種図鑑にもあるように、「犬」というより「猫」的。
ぬいぐるみのような容姿。確かにそうだが、クマに至っては、どうしようのなくブサイクで(笑)、いうことも聞かず、プライドだけは高い。非常に扱いにくかった。
だけど、同時に本当に面白い子で、みんなに愛された。
小学校の同級生に『お前、ライオン飼ってんのか!?』てからかわれたことも懐かしい記憶。確かに、見た目はちょっとライオンっぽい。
大型犬(正確には中型犬の範疇だが日本だと大型犬の認識になる)で、気難しい犬種であることから、私たち家族だけでの「躾」が心配になり、専門の訓練士に訓練してもらうことを検討した。問い合わせると、チャウチャウを扱える訓練士の人が、クマを見に来てくれた。
訓練士の男性がやってくると、クマはものすごい警戒してその人に向かって吠えまくっていた。もう、全く懐きそうにない感じで・・・。訓練士の方には「これは良い犬」と褒められたけど、同時に、前足が悪いことが判明した。この足だと訓練してもショーに出せるような犬にはなれないし、家族で可愛がってあげれば良いのでは?と言われた。訓練するとなると、2ヶ月預けることになるとも。私は、クマと離れるのが嫌で嫌で、預けたくない!と主張してもいた。家族で話し合った結果、足が悪いことも考慮され、そこまでしなくても良いのではないかという結論に至り、専門の訓練士の人に預けてまで訓練することは、結局辞めになった。
そうして、厳しい訓練も免れたクマは、うちの人間に甘やかされながらも愛されて、スクスクと成長していった。
また訓練士からの指導で、チャウチャウという犬種はその形態から、耳だれ、目やにが多く、特にまつ毛が目を刺激することから、多くは歳をとると失明する運命にあることを教えられた。予防として耳掃除と目やにの掃除を欠かさずすることを習い、私たちは実践した。
また長毛種で毛玉も出来やすく、ブラッシングも大変だった。特に顔の、顎の下の毛はヨダレがすごいことも相まって、油断するとすぐカピカピに固まってしまう。母が中心になってブラッシングをしたが、もう一仕事。ブラッシングするたびに、スーパーのビニール袋がいっぱいになるほど、毛が取れた。
トリミングして毛を刈る、という選択もあったのだけど、これをすると今度は蚊に刺されやすくなったり、短くしたからといって涼しくなるというわけでもないらしく(はっきり言えばこの手の"美容"は全て飼い主のファッション嗜好でペットは望んでいない)、大人しく刈られるとはいえないクマを連れて行くこともできず、自宅でのブラッシングとちょっとした毛のカットで済ましていた。
毎日の散歩は、私や兄が請け負っていたのだが、何しろ大型犬で運動量も多いので、30分以上、最低1時間前後はかかった。片道1km以上を往復する。それでもまだ歩き足りないのか、クマはまだ帰りたくない!という意思表示なのか、横断歩道であろうが御構い無しに、ドテーーーーン!!!と伏せてしまうことがあった。
私たち兄弟はその度に参ったけど、とにかく引っ張っていうことを聞かせて、自宅まで連れ帰った。自宅の中庭はクマの領土で、大きな犬舎がクマの寝床。窓からいつでも覗ける位置に置いてあるので、クマの姿は逐一確認できた。クマは誇らしげに、番犬として活躍していた。
そのクマも6歳を過ぎた頃から、少しづつ老いが見え始めた。時々、前足を引きずるようになった。若い頃ほど運動せず、たくさん歩くと疲れるのか、小屋に着く前に、ドテーーーン!!と伏せて寝転んでしまう。7歳頃には、どうやら訓練士の予言通り、ほとんど失明してしまったようだった。
その頃、私は不思議な夢を見た。
クマが出て来て、喋るのだ。
『僕ね、目が見えなくなっちゃったんだ。。。』
その頃クマは、柱や壁に、時々頭をぶつけるようになってた。それでなんとなく、目がだいぶ悪いことはわかってた。
そんな気持ちが、私にそんな夢を見せたのだろうと思う。
高校生になっていた私は、夜になると、クマのいる中庭に出て、クマと話して、悪い方の前足を摩ってやった。ブヒー!ブヒーーーぃぃ!(鼻が低いのでどうしてもこういう声を出す)と気持ち良さそうな声を出すクマ。面白いのが、脇の下あたりをさすってやってると、後ろ足が痙攣のように反応するんだけど、もう気持ち良さそうにますますブヒーーーー!!という。
私が立ち上がって星空を眺めてると、クマはそのうちさみしくなるらしく、クーンクーーンん!!!と騒ぎ出す。
そうか、くっついてないと淋しいんだね、と。私はまたクマに寄り添って、飽きるまで摩ってあげた。
若い頃は、こんな風に甘えてはこなかったプライドの高いクマも、年老いて目が悪くなると、驚くほど甘ったれになった。
・・・私のことなんて、ションベンくせえガキ的に、子供扱いしてたくせに。
そう、クマは若い女性、年頃の女性が好きで好きで。。。獣医師のことはものすごい警戒して注射一つさせるのに大変だったというのに、看護士の女性にはクンクン甘えてスカートの下に潜り込んだり(あれは確信犯だと兄が怒ってた)、ほとんど世話をしてない姉がなぜが大好きでブヒブヒ!と言いながらヨダレをつけまくったり、散歩途中でも男性には全く愛想がないのに若い女性にはブヒブヒ!と愛想を振りまいて「かわいい❤️」のお声を頂戴するのが大好きだったりと(なぜか俺がかわいいと思う方の女の子に行くとも兄が言っていた)、、、、もう、あからさまな男女差別をしてたゲス犬だったのだが、、、
年月が、二人の関係性を変えたようだった。
クマが8歳になった1994年の夏は、とても暑く、その後断続的に始まる酷暑の始まりのような、記録的猛暑だった。
熱中症を拗らせてしまったのか、その夜の「ワンワンワン!」という声に、私は自分が呼ばれてるような気がして二階の自分の部屋から急いで駆け下りて、クマの元に駆け寄った。
苦しそうなクマに、氷をあげたりする程度のことしかできなかった。
人間なら、手を握り合う、というのだろうか、
私は、息が途絶えるまで、クマの手を握っていた。
その瞬間は、忘れることができない。
生涯初めて味わった、「死」の瞬間だった。
大型犬は小型犬より短命なのは、犬好きの間では知られたことだけど、
やはり、
寂しかった。辛かった。
そのあと私は、初めて「ペットロス」というのを味わった。
しばらくの間、本当に、何も感じなくなってしまった。
クマは、私から「犬は噛むから怖い」という意識を吹き飛ばし、犬にも個性があること、語り合えること、友達以上になれること、いろんなことを、身をもって教えてくれた。
チャウチャウは中国語で「ごちそう」という意味だとか。
食用犬だった時代があったらしい。
人間の都合で、ブリーディングして作った犬種なのだろう。
私はクマが可愛すぎて、大好きすぎて、小学校で、クマが主人公の漫画を描いていた。
休み時間に友達に見せて、それで漫画が上手い子、という地位をクラスの中で確立できたと思う。
どうして犬って、犬になったんだろう?
オオカミでいた方が、幸せだったんじゃないかって。
なんで人間の側についたの?
時々悲しくて仕方なくなる。
何をすれば、彼らに恩返しができるのだろうか?
度々、自分に問う。