人ってなんで祈るんだろうね。
人以外に祈る動物って、見たことないなぁ・・・
祈っても祈らなくても、結果は同じような気がするのだけど。
祈りが効くことって、本当にあるんだろうか?
映画「ハクソー・リッジ」を観てきたのだけど、なかなかすごい映画でした。
日本兵の描き方で?な部分があることを除けば、見応えのあるおもしろい作品。特に戦場のシーンは、圧倒的な臨場感ですごい迫力なので、ここだけでも映画館で観る価値があるかも。よくあんな戦闘シーン撮れるなぁ、とビックリしましたわ。地上波では流せなそうだけど。。。
ハクソー・リッジを上がって戦場に入ってくとこは、下手なホラー映画より怖かったっス。めちゃ緊張感あった。このシーン1つとっても戦争映画として一級品と思う。
本当に臨場感がある。逆にありすぎて苦手な人も多そうなくらい。
いやぁ、生きててよかったー!て感じましたよ。あんなとこ行きたくねー!!!て。本当に。
主人公が、簡単にいうとかなり変人なのだけど。変人ゆえ?に偉業を成し遂げてしまう、という物語。また本筋とはズレるけど、いかにも恋愛下手キャラな雰囲気なのに、えらい美人さんといとも簡単に恋に落ちてあっという間にゴールイン、というのが若干ムムム・・・となった。
でまぁ、映画は映画で素晴らしい出来だったのだけど、
人類ってほんとう不思議な動物だなぁ、と。。。
懲りずに戦争を繰り返すこと、そして同時に信仰を持ってること、この2点は奇妙で仕方ない。
特に「信仰」って、なんなんでしょう?
他に「祈る」動物、て観たことがないのだけど。なんで何かと祈ってんだ?人類は!!!
「宗教」と呼ぶようになると、祈りが儀式化されたり、教えあり〜の祭事あり〜のと、色々な形態を示すようになるけど。
そもそもの発端は、「祈り」、でしょうな。
祈る、すなわち、何か望みが叶うように願う、というのは、先のこと、未来のことを「想像する力」がないと出ない行動でしょう。
そうすると、過去現在未来、という時の流れの概念を持つ動物じゃないと、「祈る」って発想も出ないのかなぁ。
では信仰を持たない他の動物は、先を予測する、という概念自体がなく、一瞬一瞬の「時」を、ただただ受け入れて生きてるだけなのだろうか?
でも社会性がある動物って、犬猫など飼ってればすぐわかることだけど、『待っててね』、て言われたらじっと待ってるし、ご飯の時間もおおよその感覚で覚えてるし、飼い主の帰りをじーっと待ってたりしますからね。
それって、帰ってくるのを期待してる、てことでしょうから、先を予測してるわけで、「未来」の概念があるように思う。
ただ動物たちの場合、未来といっても、想像できるのは、せいぜい数日から数週間程度が限界なのかもしれない。一年先、数年先、という概念は持ってないのかもしれない。
予測できる近い未来と、できない遠い未来。実際、その差がなんなのかわからないけど。
先がどうなるかわからないから、希望通りの未来が起こるかわからないから、少しでも不安を取り除くために、人は「祈る」のだろう。
「大事な人の無事を祈る」、も、その人の未来に介入できない時ほど、人は「祈り」に頼る。
では、
その「祈り」が予定された未来を変える、なんてことあるんだろうか?
いや「祈り」にそんな力なんてあるはずはなく、単なる気休めにしかならないように思う。
だけど、気休めであっても、祈らずにはいられない。
願いが叶った時は、それこそ、「祈り」のおかげだ!と思うだろう。
そして一度、「祈りが通じた!」となると、験担ぎだなんだと、また次も祈るのだろう。そうして習慣化され、世代を超えて継承されて、いろんな形の「信仰」が生まれたんだろう。
人は何か、因果関係を見つけたがる癖がある気がする。
なぜその結果となったのか、プロセスや要因が不透明な状況が、脳にとてもストレスなのかもしれない。
どこかに「理由」を求めてしまう。
「理由」さえわかれば、対策できる(はず)だから。
また人間にとって、自分たちの万能感が脅かされることは、基本的に受け入れられないのかもしれない。だから、人知を超えたもの、自然災害、未来の運命、などには「信仰」で対抗するしかなかったのかも。
しかしまぁ、祈ることで解決するなら苦労はないよね・・・。
実際には、「行動」こそが未来を変える。
映画の主人公もそう。彼はただ祈るだけじゃなく、その信仰に基づいて、ものすごい行動をしてるのだ。
「行動」したから、「結果」がついてきた。
「祈り」って、集中力を高める効果にこそ意味があるのかもしれない。
ただ、試験に合格したいとか、人を一人でも多く助けたい、なんてのは、行動が伴うことで結果を引き寄せる、と当たり前でわかりやすいけど。
「雨乞い」とかはどうだろう?古典的な祈り行動の典型だと思うが。
または、祈りと隣り合わせの「呪い」とかも。効果あるんだろうか?
「祈りが届いた」のか、「努力が実った」のか、どっちかわからなくとも、結果として希望が通ればいいのだろうけど。
天候相手に努力しようがないし、自分以外の相手のことも、幸せも不幸も、祈ろうが祈らなかろうが、変えようがない。そもそも自分とは関係がない。
関係できないけど、関係「したい」、という気持ちから、祈らずにはいられないのだろう。
そもそも、
祈る、念ずる、・・・そういう行為は、いつからしてたのだろう?
例えば、
カエルを見てると、時々何を考えてるのかわからないというか、何も考えてないのだろうけど、いやそろそろ雨になるかな?とかそういうことくらいは、ちょっと考えてるように見える。
飼い犬も早く散歩に行きたい、まだかな?まだかな?と、飼い主の動きを見つめながら、よく考えてる思う。
つまり結構いろんな動物が、ある程度「こうなってほしい近い未来」を思い描くことができるのではないか?
つまり、現在と未来、という時間の流れの概念を持っているのだと思う。意識せずとも。
ただ、人と違って動物は、その通りにならなくても、さほど怒り狂うことはない。
だけども人は、自分の思い通りにならないと、ひどく落ち込んだり、怒り出したりする。
・・・そう。人は強欲なのだ。
無欲なら「祈る」必要もないだろうから。
だって、どんな未来もただただ受け入れるだけ、でいいはずだもの。希望がなければ絶望もないから。
でも強い欲望があるんだよね。こうなってほしい!!!!ていう。。。
案外、人はこの欲望を抑えるために、信仰を持つようになったのかも。
信仰があれば、自分を納得させらるし、受け入れがたい現実への拒否感からくるストレスや、そこからくる不安からも、逃れられる。
そう思うと、ちょっと敬虔な感じからは遠ざかってしまうけど。
だけど、人が祈る姿って、とても美しい。
なぜかわからないけど、私は宗教宗派関係なく、人が祈ってる姿の美しさに、普遍性を感じる。
他の動物から見たら、あいつら何やってんだ?てくらい、不思議な行動なのかもしれないけど。
一心に祈りを捧げる人って、とても力強く感じる。
それで、未来が変わるのかはわからないけど。
そんな私も、ときどき祈る。
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