Madam toad's blog

オカシイのは私ではなく、この世界。

プライドは幸せに必要か。

そもそもプライドってなんなんだろう?

 

日本語だと自尊心っていうけど。

自分は価値のある人間だ、て信じてるってことだけど。

だいたい、譲れないもの、があって、負けず嫌い、て感じかなぁ。

要するに頑固ってことかな。

 

プライドが高い人は、勝ってる自分が好き。

 

現状に不満があったとしても、自分はもっと上に行けるはずだ、という信念があるので、それがそのまま向上心になり、努力すると思う。

だから結果として、プライドが高い人は仕事ができる人になって、評価がついてきて社会的地位も高くなる、そういう傾向があるかもしれない。

 

そうすると、人が成長するためには、

プライドの高いことはいいこと、と言える。

 

でも努力してもうまくいかないこと、運がついてこないことや、向いてないことに取り組んでて結果が出ないこと、なんてのも多々あるだろう。

 

プライドの高い人は、負けてる自分が大嫌い。

 

だからプライドの高い人は、負けてる自分を受け入れられず、苦しむことになる。

プライドが邪魔して人に弱みを見せられないから、周りに相談することもせず、抱え込む。なので周りも力になれない。

弱い自分から目を逸らすことで、成長のチャンスを逃してしまい、結果としてなかなか改善しない。

 

そんな悪循環に陥るのって、すごく勿体無いと思う。

 

 

しかし私にはこのパターンはない。

私は「ダメな自分」を開示するのに抵抗がないので、あまりそういうことにはならない。

だから、私はそんなにプライドは高くないのかもしれない。

 

いや、なんと言うか、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」を実践してるだけなんだけど・・・

 

というか、私は本当は、結構プライドの高いほうだと思う。負けず嫌いなとこもあるし。プロ意識も強い。

ただ、自信が伴わないので、自分のプライドに応えられていない、というのが現実。

負けることにも慣れてしまってて、なんとかしたいって未だに葛藤中。

 

 

 

本題、

ではプライドって、幸せに必要なのか?

 

あったほうがいいのか、ないほうがいいのか?と言う二元論でもないけど。

 

プライド高い人がそのせいで幸せを逃してる、って事例が多い気もする・・・・

 

それと、プライドなのか虚栄心なのか、

ちょっと区別がつかない時もある。

 

プライド=「誇り」というのなら、まずは自分が自分のことをしっかり受け入れてないといけない。

 

なので、プライドが傷つくから嫌だ、というのは。何か違う気がする。

単に、傷つくのが嫌だ、でいい。

 

それに、プライドの高さゆえに相手を傷つけていることって、結構あると思う。

そこまでして守り通した己のプライド、ってなんなんだろう?て話。

 

強い自分は受け入れるが、弱い自分は受け入れない、という状態のプライドの高い人が、相手を傷つけてでも自分を守るとき、

とりあえず本人は傷つかずに済んだのかもしれないが、一方で、弱い自分から抜け出せていない、という問題が残る。

 

そしてそのプライドの高さゆえ、結局は自分自身に納得もいかず、不満を抱えて生き続けることになる。

 

 

そんな誰も幸せにしないプライドなんか、捨てちゃえばいい!

 

 

仮にもし、

もし本当に守りたいものが、譲れないものが、「誇り」があるなら、

やっぱり闘わないと。

 

 

そういうプロセスをしっかり積んできた人の、歴戦のプライドなら、本人もその人に集まってくる人も、きっと幸せにするのだろう。

 

 

 

とまぁ、批判っぽくはなったけど、

プライドの高いことは、基本的にいいことだと思ってる。

 

私はプライドの高い人が好き。

 

頑固かもしれないけど、純粋さもあるし。やっぱりカッコいいと思う。

 

だけど虚栄心の強い人はダメ。

プライドの高さを、人を見下すことで必死に守ってる、という感じが苦手。

 

 

大事なのは、自分の「プライドの高さに見合った強さ」を身につけることなのかもしれないな、て思う。

 

それができないなら、弱いなら、捨ててしまうのがいいと思う。

幸せの邪魔だもの。

 

 

 

まぁ、考えてみれば当然だけど。

幸せかどうかに、プライドの有無は関係ないだろう。

 

だけど、すごくプライドの高い人が、そのプライドを抱えたまま幸せを目指すのは、なかなか茨の道ではなかろうか、て思う。

 

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