とことん自分と向き合って、初めて他人がわかる。
自分と向き合う、というのは苦痛だ。
だからほとんどの人はやらない。
周りの空気に合わせて、波風を立てないようにと、自分を殺して生きている。
この記事はいいな、と思いました。本は読んでないけど:
常々思うのだが、「身勝手や自己チュー」と「自分のことしか考えてない」、は別物だと思う。
自分勝手というのは、ただの未熟者なので、実は自分のこともあまり深く考えていない。その場その場の原始的な欲求に従っているだけのお子様脳な人だ。
なぜ今、こんなに苦しいのか?自分は何に対して悩んでいるのか?
この答えを出すには、とことん自分と向き合うしかない。
それは簡単なことではないし。うまくできずただただ鬱に陥ることもある。
だけど、自分の内面と向き合って初めてわかること、得ることは本当に大きい。
たいていの人の悩みは、人間関係からくるものだろうと思う。
誤解や不理解、はたまた忖度・・・いろんな軋轢でヘトヘトになる。
それをうまくこなすには、相手への理解度、要は相手の心理を読み取って柔軟に対応してくしかない。深く考えず、かと言って浅く考えすぎず、うまく「距離」を保つ。
苦手な相手でも、「なぜあのような行動をするのか?」「なぜあんな言動をしたのか?」ということを客観的に観察できるようになると、人生が数段楽になる。
しかしこれは、なかなかできない。
というかいきなり他者を理解しよう、は無理な話に決まってる。
その前に、自分自身と向き合う必要がある。自分が「どうしてそう感じるのか?」と客観的な視点に立つ必要だ。
これは、普通はしないだろう。難しいメタ認知だ。
しかし
人生で必要なことは、やはりこのような「自分と向き合う」ことだと思う。
とことん向き合うことから逃げていては、いつまでも誤魔化し人の顔色を見て生きることになる。
わがままでいいと思う。自分中心でいい。
というか、自分の人生は自分しか生きられないのだから。
わがままは何も悪くない。
誰が、あなたの代わりにあなたの人生を請け負ってくれるというのだ。
誰が、あなたの夢をあなたの代わりに叶えて体験させてくれるというのだ。
生きるとは、自分の経験が全てだ。
一度しかない人生を、生きるのは、
自分しかいない。
変な話、
とことん自分と向き合って、深淵を覗いたくらいの気持ちで自分の闇も知れば、
人に寛容になれるのだ。
自分への理解度はそのまま他人への理解度になる。
楽なことではないかも知れないが、
しっかり悩んで、迷って、自分と向き合ってみるのは決して無駄なことではないと思う。
辛い時期は、しっかりと自分のことだけ考えてればいい。
納得いくまで悩み切って、初めて次のステージに行くことができるのだから。
人生がわからないなら、しばらく自分のことだけ考えてればいい。
それは視野狭窄でなく、やがては他者への寛容さを育てる。