Madam toad's blog

オカシイのは私ではなく、この世界。

私も痴漢のこと言えなかった。

この記事を見たとき、すごく、考えさせられました。この方の気持ち、よくわかるし。ほんとに、苦しくなりました。

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思い出したくないことを、そのまま封印してきて、、、

だけど、そういう私のような女の弱い態度が、問題を放置して、結局は、より若い層に問題を押し付けてきたのかな、て。

 

痴漢被害なんて、意識過剰じゃないの?

 

というのが、最も私たちの訴えを封印してきた。

 

そう、声を殺す代表が、この社会の同調圧力

”面倒臭い女”だ、て想われることがこの社会で生きにくいことにつながることを察しているから、

あえて、黙りこくってきたと思う。

 

だけど、

本当に許せないと思う人たちがいる。

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いつのまにか湧いてきた、女尊男卑だと騒ぐ人たち。

 

私、これだけは許せない。

 

そもそも、痴漢ってどんな理由でやるか知ってます?

 

ストレス発散だとよ!!!!!

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あまりの酷さに、もう対話する気は起きない。

 

 

 

 

1976年生まれの私は、初めて痴漢被害にあったのは小学生高学年の時でした。

普通の日常の、普通の登校時。初め気にも留めなかったけど、何か見知らぬおじさんが自分に寄ってくるな?...て思った。

 

誰も気がついてはくれなかった。

 

当時は何が起きたのか、ちゃんと理解できていなかった。

 

半ショック状態だったのか、自分の中で整理できない案件だったので、

親にもいえず、封印していた。

 

少し落ち着いた後、

 

これは何か 恥なことかもしれない

 

自分の中で、そんな風に直感で思ったことも、話せなかったことに起因してるように思う。

 

 

しばらくして、一度だけ、夕飯を作っている母の背中に向かって、重い口を開いたことがった。

自分としては決心ををしてやっと言いだしたこと、、、、なのだけど、

 

いつもと変わらず忙しそうにしてた母は、あまりちゃんと聞いてなかったのか、

割と軽く受け流されたように感じた。

私も根掘り葉掘り聞かれるのは嫌だったので、すぐやめた。この話は、もうこれ以上はいいかな、て感じで。

 

どこをどう触れたのとか、言わなかったけど。

そもそも、気にした私が、神経質だったのかもしれないと。

 

 

  

その後、

中高の6年間、電車通学していた私は、

驚くほど痴漢被害の多さに、冗談抜きに悩まされた。

ただ、これは私だけでなく多くの同級生も同様に被害にあっていたようで、

特別なことじゃないんだ、という捉え方だった。

 

また困ったことに、中にはよく分からない、自分の勘違いかな?というのも含まれるので

実際にはどの程度の頻度で本当に痴漢だったのか分からないところはある。

 

だけど、確実にそうだというのは嫌でもわかるので、...なかなか、精神的ショックは大きかった。

 

 

年代はバラバラだった。

サラリーマンから同世代の中高生まで。

容姿も年代も、きっと社会的地位とか、とにかく何も共通点はない。男性である以外。

関係なかった。

 

満員電車。

 

昨日、あったから、今日はあの車両は避けよう、

そうして乗る場所を選ぶ。

 

今日はあわずに済んだ、とホッとして学校に着く。

 

そういうレベル。

 

日常になっていると、もうそういうものなのだと、半ば麻痺していたと思う。

 

 

それでも、中学3年になった頃、あまりに被害が多いので、私も自分の見た目を、つまり、舐められる原因が自分の見た目にあるのではないか?と、いかにも大人しそうに見えるのが原因なのではないか?と、

髪を切っ見たり、丸顔を改善できるようダイエットしてみたり、キリッとしよう!と鏡と睨めっこしたり。。。

 

少しでも嫌な思いをしないように、それなりに努力した。

 

そして確かに、キリッと堂々とするようにしてると、高校に上がった頃、被害は減ったように感じた。

それか、単にロリコンの対象ではなくなったから?かもしれないけど。

 

そんな中、さすがに参った、というか怖っ!、と怯える事件があった。

 

高校1年の時、スカートを切られたのだ。

 

満員電車の中、正直、切られたことがわからなかった。

 

学校に行ってから、同級生が気づいて指摘してくれたのだ。「どうしたの!?」と。

 

帰宅して

母に打ち明けたら、

裏から布を当てたら、なんとかなるんじゃない?と優しく対応してくれた。

 

ガタガタの切り口だったけど、母が上手に縫い合わせてくれて、そのスカートは引き続き履き続けることができた。

 

しかしこの時は流石に、京王線に報告した。無視できない被害と感じたからだ。

 

その答えは『そういう報告が、他にもあるのですが。。。なるべく車掌に近い、前の車両に乗ってください。』

そんなものだった。

 

 

それから、女性専用車両が導入されると、私は、もう女子高校生を卒業してはいたけど。この措置にすごくホッとして、進んで女性専用車両を使うようになったことを覚えている。

 

 

しかしこれは、

解決ではない。

 

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また自分の場合は、満員電車の痴漢以上に、言いにくいのだけど、

小学生時の痴漢と、担任によるハラスメントが、最もトラウマになっている。

 

そう、最悪な思い出は、小学5、6年時の男性教諭のセクハラだ。

 

簡単に言えば、所謂ロリコンが私を気に入ったらしいのだけど、気持ち悪いので拒絶すると、可愛さ余って憎さ()と言わんばかりに、婉曲な嫌がらせ行為をしてきた、というよくある非常にわかりやすいものだった。

 

だけど、これこそ本当に誰にもまともに訴えようがなかったから。本当に嫌だったのに、明らかに嫌がらせなのに!!!!、まともに取り合ってくれそうな人はどこにもいなくて・・・・

 

すごく孤独だった。

 

今でもあの担任を思い出すと、今でも気持ちが悪くなる。

 

またこの担任以降、「がっこうのセンセイ」という人種に強い不信感を抱くようになった。

 

当時、家は色々大変で。

ちょうど母の病気が発覚して入院して。家はそのことで一杯一杯で。。。

もともと1μも頼りにならない父親を筆頭に、話など通じはしない年の離れた兄弟。

 

本当に孤独だった。

 

それもあって、漫画ばかり描いていたのかもしれない。

 

心を許せる唯一の存在は、愛犬。チャウチャウ犬のクマちゃん。

 

www.madamtoadblog.comあの子には本当に助けられた。あの子がいなければ、私はもっと病んでたと思う。

 

 

そして、

 

大人に期待してはいけない

 

という私の捻くれた信念は、この頃、確立された。

 

そして同時に、この、一連の10代の体験を元に、

 

誰も頼りにならない、甘えられる人間などいない!

 

というスタンスと、

 

私は絶対に専業主婦にはならない、男に養ってもらうのは死んでもゴメンだ!

 

という静かな誓いも、心に刻まれたように思う。

 

 

 

今思い出すと、当時の自分が自分で可哀想になるけど、、、

 

 こういう、子供の頃の苦い記憶は、忘れようがないから。

 

 

 

 

しかしここで問題なのは、

同じことを体験しても、人によって受け取り方が違う

という点だ。

 

だから、

私にとってトラウマ的に嫌な体験だったことでも、人によってはダメージ0なのかもしれないし、記憶にも残らないのかもしれない。

 

・・・そう。

受け止め方には、大きな個人差がある。

 

だけど、

自分が平気だったのだから、あなたも平気なはずだ

というのは

大変な傲慢でしょう。

 

 

 

 

男性にも色々な人がいるから、一様に最低な人ばかりだとは言えない。

自分はあえて言いたくないから。ずっと黙って、いずれ自分が忘れたらなかったことにできる、それでいいと、封印してきた。

 

だけど、  

 

結局、未だに変わらない日本社会を見て

結局、今日も泣いてるのは女性であるという現実を見て、

 

やはり、

ちゃんと表明すべきなんだ、と

改めて思った。

 

 

痴漢は、男尊女卑のがあってこそ生み出される行為。

 

言い訳は一切ありえない。

 

彼らは、心の底から女性をバカにしているだけです。

 

 

そんなものを容認してはいけない。

 

 

 

 

表明しよう。

 

私もおなじ。

 

辛かったけど

 

言えなかった

 

訴えが通じなかった

 

 

その一人ですと。

 

 

 

どうか

世の中が、少しはマシになりますように。