「誰も悪くない社会」をコッソリ目指す。
責任感があるつもりでも、それに押しつぶされたり、
もっと頑張らないといけないのに!と、イライラして自分を責めて
結果なんだかもう疲れた、てありません?
私は、よくあります(笑)。
逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!
立て!立つんだージョー!じゃなくて私!
ダメだぁ....はぁ、自分はダメな人間だ、と、度々自己嫌悪。
精神的に幼いので、いつになっても、解決に向かわない葛藤。
ちゃんとしないといけない、て強く意識してる。
だけどその、ちゃんとって、=普通てことか?
普通なら、普通の大人なら、普通その歳なら、、、
いろんなとこで提示される「普通」。
そこに近づこうと努力しても、なかなか人生うまくいかない。
最近は「多様性」信仰が盛んというか、
「自分らしくあるべき」、という主張も多いけど、
もちろん、マイノリティ側が意味もなく差別を受けるのは、私も大いに反対の立場だけど。
ただ、「個性的=強み」、とは自分はあまり思わない。
そもそも、なんだよ「個性」って(笑)て思えるくらい。
もともと、皆それぞれ違うものだし。
「普通」というものは、実際には存在しないと思ってる。
みんなの平均が「普通」という幻想を生んでるだけ、というのが私の考えです。
そしてその「平均」の算出には、個性的だとかマイノリティと言われれる人も入っている。
だから、今マイノリティ側にいる(と思ってる)人が集団から抜けたら、
平均はまた「違った顔」を出すでしょう。
(というか、中央値とか分散も気にすべきと思う。)
あくまで自分の考えというか、経験上の感覚だけど、
多様性云々というのは、大切だから保護しよう、などというものでなく、
特別でもない、そもそも「あって当たり前」のものと思ってる。
で、改めて、
ちゃんとする、てなんだろう?
大人なんだから、自分に責任を持たなきゃならない。
わかる。
けど私は、好きでこんな「私」になったわけでもない。
選んでなった、というわけではない。
もっというと、自分がいつから自分だったのか、今日の「私」がどうやって出来上がったのか、覚えてない。
正直いうと、自分のことをよく知らない。わからない。
だけど、わかってることでいえば、
他者の存在がなければ、親兄弟、友達とか好きな相手だけでなく、そう、嫌いだったり苦手な人も含めた「大勢の他者」、がいなければ、
今日の「自分」はいなかったはず。
私は私一人では、どうあがいても「私」になれなかった。
つまり「私」は私一人の作品じゃないんだ、て思うと
自分を嫌いであることは、=他者が嫌い、ということでもある。
人を傷つけたいなら、それもいいかもしれない。
反対に、人に親切にしたい、人に愛されたい、
幸せになりたい、
てちょっとでも思うなら、
やっぱりいつまでも自分を嫌っていてはダメだよな、と、
そう思う。
要するに「情けは人の為ならず」というのの一つの解釈。
自分を大切にするために、人を大切にする、と言っても過言ではないと思う。
また不思議なもので、
自分の心の在りようで、相手に対するイメージも変わったりする。
だから、自分が好きな相手には好かれてる、と思いがちだし、
反対に、自分が嫌いな相手は、たいてい相手も嫌ってる。
世間に牙を剥く人は、たいてい世間にも牙を剥かれる。
鏡のように、世界は自分と呼応する。
だけど、幸いにこの世界の住人は自分一人じゃなくたくさんいるので、
一人で世界を恨んでも、他のたくさんが世界を愛してるので、
世界はちゃんと自分にも笑って挨拶してくれる。
その挨拶を返す返さないは、私次第。
ーーーー
私がこうなったのは私の責任ではありません!
なぜなら、今日の私は、「遺伝子と環境の相互作用」の産物によるものだからです。
そこに私の責任はありません。
ーーーー
・・・こんな言い訳を真顔で言ってのけたい時もある。
だって本当に、体質とか性格の傾向とか、大まかには遺伝子で決まるし、
生涯にわたり大きく影響する幼少期の環境も、自分では選べないから。
大人なんだから「自分」に責任を持て、てのもわかるし、
「自己責任論」みたいなのよく言われるけど、
そんなこと言われてもね、いつから自分自身で自分の行動を選択してたのか、
わかんないんだもん!、本当に。
相手の顔色を見て、ほとんど反射的に自分の顔を作ったり、
ここではこう振る舞うべきなのだろう、と環境に合わせて行動を決めてきた、
またそうせざるを得なかった、てのもまた多かったはず。
私らしい、て思ってる多くの部分は、
環境によって作られた「私」だから、
「なんでそんななんだ!」、とか言われても、
時々やっぱり、困っちゃうんだよね。。。
真面目に受け取りすぎて、あんまり自己嫌悪に陥ると、
一人にしてくれ、てよく思う。
実際、一人でいるのも好きなので。
問題が解決できない、不満が消えない、、、座っていても悩みって解決しない。
そういう時は、動物なんだから動けばいいのだ!
動けば周りの環境は自ずと変わる。
悩んでたこと自体を都合よく忘れられる場合もある。
関わる他者を含め周りの環境を変える、てのは即ち、自分を作る材料を変える、
てことに近いから。
明日の私が、これからの出せる自分バーガーが、マックからモスバーガーに変わるかもしれないわけであります。
だから、困りに困ったら、基本的には移動する。
極端な話、戦闘力が足りなくて死んじゃうかも!て時は、「逃げる」以外に選択の余地がないわけだし。
だけどねぇ、、、ネットで世界が繋がっちゃってるから、
完全に逃げるのは、難しい。
そうなのだ。
もう誰しもが誰からでも影響を受ける可能性がある、そんな時代だ。
地球の裏側の出来事からだって、逃れられない。
これからの「私らしさ」も、世界との付き合い方で決まっていくんだろう。
ちなみに、
自分に厳しく他人に優しい、はかなり難しい、実際には、
自分に厳しいとたいてい他人にも厳しい。
なので一見すると真面目でいい人による「自分を追い詰める行為」が、知らないうちに周りにも悪影響を与えてる可能性も、大いにある。
「自己責任」なんて言えばいうほど、全体に重い空気がのしかかるわけ。
ちゃんとしなきゃ、なんてあんまり考えないほうがいいのだ。本当は・・・
それで、
やっぱり困ったので、言い訳を考えてる。
ーーーー
今日もこんな私でゴメンナサイ、
でも「私」の一部は、あなたがもたらしたものでもありますので。
ウフフ(๑・̑◡・̑๑)
ーーーー
そんな感じで「自己責任論」を粉砕しながら、
私は「誰も悪くない社会」を、コッソリ目指すのであります。